茶櫃が解体するとき、国家も解体する・・・わけありません。
アホなこと、しでかしただけです。
5月4日、朝7時に大掃除を始めてしまいました。午前中に終わらせて午後は散歩に行こうと思っていたのですが・・・
気がつけば、止められない止まらない状態で、夜7時まで大掃除。
なんでしょね。年末にしなかった報いでしょうかね。次から次へと気になっちゃって片付け魔と化していました。
で、漆器の茶櫃発見。
発見て、自分でそこに仕舞ったんですけどね。長いことアウトオブ眼中。
なんで仕舞っちゃったかというと、好みでないから。
好みでないけど、通りすがりの店じまい商店の前でタダ同然の値段のついた数々の調度品の中に漆器の一段重を見つけて200円で買おうとしたら、くだんの茶櫃もセットだと。
茶櫃いらん、と粘ったのですが、セットだからもってけと、売り主の爺様に押し切られました。
で、暫くは座卓の下で雑物入れになっていましたが、ある日掃除のついでに、高いところに乗っけてしまって・・・
使わないのもナニだから(ナニはなんですか?)、埃を拭いて根菜入れにでもしましょ・・・
あ~れ~、蓋の縁がひび割れているう~乾燥しちゃったんですう~
本体は無事です。こっちだけでも使えるからと、拭いて出来心で少し水に漬けました。
で、1時間もたってません。水から引き揚げたら、べろんべろんに塗装が剥がれていました。
なんで? 箱はあまりにぼろくて捨てちゃったけど、高級漆器って書いてあったはずだよ・・・
仕方ない。いっそ塗装を剥がして、木地だけで使おうと、ぺりぺりやって、下地の砥の粉?をタワシでこすって・・・
げっ。
新聞紙が出てきましたあ~
以前見た漆器の修理サイトに、「下地が新聞紙の粗悪品」だからナンタラカンタラ修理費が高くついたみたいな記事がありました。お盆だか卓だかで修理代で20万円越え。
粗悪品ですか。
確かに下地には布や和紙を使いますよね・・・
で、最終的に、底板も貼り合わせであることが判明。
「粗悪品」が「刳り貫き」であるはずがないですよね・・・
節もあるし。左から2番目の板にはヒビが入っているし。
蓋は分厚くて重かったから、こっちは「刳り貫き」かもしれないと期待しましたが、同様でした。

左の大きい板は水に漬けといたら反っくり返りました・・・
バラバラ状態の板を観察すると、かんな掛けも雑。どういう仕事してんだ・・・
で、こっから迷路。
剥がした新聞紙をじっくり見ちゃいました。漆器サイトには「戦後出回った粗悪品」みたいな記述がありましたけど、新聞紙から作られた年代がわかるかもしれない。
戦後っていつよ。
経済白書が「もはや戦後ではない」といったのは1956年(昭和31年)のことですが、気分的にはもっと長かったんじゃないでしょうか。
ワタシの子供時代、あちこちで傷痍軍人さんの白服をみかけましたし、仲良しの子の年嵩のお兄さんは本当のお兄さんではなく、おじさんおばさんが戦災孤児を引き取って育てて大学まで行かせたんだったし、ワタシが上京するとき、形骸化していたとはいえ「米穀通帳」を持たせられたし。
(一度も使わないうちに紛失しました。)
で、この新聞はいつのよ。
ヒマじゃないけど調べました。ネットで大概のことがわかる便利な世の中です。
映画が娯楽の王様であった時代らしく、映画案内の充実していること。
では調査開始。封切りと思われるものをあたります。
movie walkerによりますと
「歴史は女で作られる」 1956年3月10日公開。
「黄金の腕」 1956年5月29日 公開
「スカートをはいた中尉さん」 1956年5月26日 公開
「他国者は殺せ」 1956年6月20日 公開・・・
他に「妖花アラウネ」とか面白そうな題名がありましたが、1927年版と1950年版がありまして、1950年版が1953年8月21日 公開。これは名画座系でしょうねえ・・・
で、わかること。この新聞は1956年(昭和31年)6月20日以降の発行。
番組欄はラジオです。TV放送開始は1953年なれど、普及したのは「1959年の皇太子明仁親王成婚パレード」からです。
↓『東京千一夜「夜の鶯」森繁久弥』でわかるかと思ったら、ぜんぜんヒットしません。
(NHK第一放送かと思われます。)
↓じゃ、これでどうだ。
当たりました。『放送劇「午後8時13分」』。
放送劇とは「ラジオで放送する劇」だそうです。
でweblio辞書によりますと、映画「午後8時13分」は〈“平凡”連載、文化放送連続放送劇菊田一夫の原作〉を1956年大映が映画化しています。
はあ。
上のほうの『風雲黒潮丸』はどうでしょう。これも当たり。weblio辞書に、
〈ニッポン放送他で連続放送され、全国少年ファンに人気を得ている小沢不二夫原作の冒険時代放送劇の映画化。〉 (1956年)
とあります。
うーん、1956年以降とはわかったけど、確定は難しいですねえ。
↓市況から見ると・・・
季節は初夏です。尺貫表記だということは・・・
〈日本では、計量法により、1958年12月31日限り(土地と建物の計量については1966年3月31日限り)で取引や証明に尺貫法を用いることは禁止〉されたそうです。(wikipedia)
ちゅうことは、1956~1958年の初夏かあ・・・
NHK第二放送と思われる番組欄に「引揚者の在外事実調査」がありました。これを検索すると、大村市の広報に辿りつきます。
1956(昭和31)年6月上旬号No.105
http://www.city.omura.nagasaki.jp/kouhou/shise/koho/koho/mukashi/s30-s39/documents/5141369.pdf
それによると、調査を昭和31年6月10日から23日まで行うとなっています。
この新聞の発行は、1956年6月でしょうかしら。
はっ、仕事しなくちゃ・・・
追記:肝心なことを忘れていました。箱を捨ててしまったけれど、確か「(東京)美●加堂」の新社屋完成記念品でした。
で、ネットで「(東京)美●加堂」を調べましたら、昭和32年5月に三鷹市下連雀の新社屋に移転しています。
ということは、1956年(昭和31年)6月10日以降、1957年(昭和32年)5月の間に作られた・・・
おおっ、嵌った。
さらに追記(5/16):ラジオ番組に「参院全国区候補経歴」とあります。
第4回参議院議員選挙は、1956年6月12日に告示され、7月8日に投票が行われています。
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