おさんぽ4・都心の庭園/公園

2015年7月11日 (土)

不忍の池へ

6月7日上野恩賜公園散歩の12です。やっと終わりです。(^-^;

京成電鉄博物館動物観駅跡のはす向かいは、東京藝術大学の裏門でございます。

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右端にちょこっと見えるポスターは、次回行く予定の「ヘレン・シャルフベック展」。

勢いでこの日一緒に観てしまおうか、と思わないでもなかったのですが、「ついでに」鑑賞するようなものではございません。日を改めてまいります。

帰り道は「旧東京音楽学校奏楽堂」の前を通って、ああ今は休館中なのね見学できるのは3年後なのね十数年前に入ったことがあったわよねカメラ持ってなかったのよね、と嘆息しつつ・・・

なんですか、これ↓。

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芝生の中に柱が一本ぽつねんと。

巨大燭台じゃなくてえ。

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芸術でした。藝大の学生さんの作品のようです。

「私達は互いに溶けあう」

何と何が合体したのでしょう。

↓タケノコ?が伸びて、てっぺんにキノコ?

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蟹星人系生物が地中から地上を探索しているのかと。

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「めしべ」だそうです。そういえば巨大雌蕊です。インパクトあるな。

↓こちらは「発射台」。

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うそうそ。寛永寺「時の鐘」です。上野大仏の近くです。

寛永寺HPによりますと、〈寛文九年(1669)に設けられ、天明七年(1787)に改鋳。現在も正午と朝夕六時の計三回、毎日時を告げている〉そうです。(抜き書き)

台座がコンクリート?のように見えますが、石積みでしょうか。

↓こちらは花園稲荷神社の参道・鳥居でございますが、五條天神社の参道でもございます。

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はてな。いっしょくたでいいのか。五條天神社には菅原道真公もお祀りされております。

この奥には赤い鳥居が延々と続き、その先に花園稲荷神社があり、また「穴稲荷」があり、秘密めいた雰囲気満載ですが、なにせ人が多すぎて写真撮れませぬ。

穴稲荷さまに関しては撮影禁止。

なのにネット検索すると「穴稲荷」写真が出てくる不思議。祟りが怖くないのかなぁぁぁ。

五條天神社の写真は・・・こちらも人だらけで撮れませぬ。

さて、そろそろ撤収です。帰り道は弁天堂経由。

素通りするつもりでしたが、参道前に差し掛かって、あら不思議。数十年前、動物園帰りに子供の手を引いて参道の屋台に気を取られながら歩いた記憶が瞬時によみがえり・・・

あの時は目線が子どもと一緒だったのかしら。参道がもっと広く両脇に屋台のぎっしり建ち並ぶ誘惑の道だった気がしましたのに、いい年こいてからみると案外ちんけ。

参道も人いっぱいですから写真とりません。代わりに池の方をむいてぱちり。

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蓮の葉っぱばかりで面白みに欠けます。池の向こうは見事にビルばかりです。

「鳥塚」。これにかぎらず、弁天堂周囲は「~塚」で溢れておりましていささか食傷。

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人ばかりだし、もう帰ろうかな~と言う時、弁天堂の裏手で人の流れが途切れました。

↓この1枚ね。貴重ですのよん。

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で、何気なく振り返ると、あらあ、人のいない一角があるじゃありませんか。

なんざましょ。東京の上野の繁華街とも思えぬ、この田舎感は。

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ワタシの田舎でさえ、こういう風景は失われましたぞ。

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左端にビルが見えなければ、昭和の片田舎でありますぞ。

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石の擬宝珠もすり減っておりまする。

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ワタシの子ども時代、小さな川の橋はこんな具合の石橋でした。

思わぬところに昔日が残っているものですねえ。

後日ネットで調べましたら、この小さな島は「聖天島」というのだそうです。あれこれ話を寄せ集めると、「鬚地蔵」さまがいらっしゃり、後姿がナニにそっくりだとか。ここの神様は弁天様より古いんだとか。本格的に調べる価値ありそう・・・

ついでに「鬚地蔵」とは、飛鳥時代から奈良時代の呪術者・修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)のことだとか。

不忍の池は、明治に一部埋め立てられ、太平洋戦争中も食料不足から水田になっちゃって、昭和30年代に復活したとのことですが、今のところ詳細なネット情報に行きあたっていません。

で、こちら↓は見物人が一人もいませんでした。

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「豊太閤護持 大黒天堂」・・・

豊太閤って、豊臣秀吉ですよね。家康さんが秀頼くんにいちゃもんつけて、豊臣家は滅ぼされましたよね。なんで家康公ゆかりのここに・・・

という疑問を残して、6月7日の散歩は終わりました。やっと7月に入れる。お付き合いくださいましてありがとうございました。

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2015年7月10日 (金)

博物館動物園駅跡と黒田記念館

6月7日上野恩賜公園散歩の11です。後何回残ってるんだろ・・・

東京博物館を出まして、西方向に進みます。先には東京藝術大学大学美術館がありまして、そのチケットも持ってます。博物館から美術館へはしご・・・はさすがにきつい。

↓お目当てはこれ・・・でもありません。通り道の四つ角にある古代ギリシャと倉庫が合体したような不思議な建物ではありますが。

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何でしょう。駅でしょう。ここから電車に乗って帰りま・・・せん。

ご覧のとおり、今は使われていない、京成電鉄の「博物館動物園駅」の「跡」であります。

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〈老朽化や乗降客数の減少が響いたため、1997年(平成9年)に営業休止、2004年(平成16年)に廃止〉 (wikipedia)になっちゃったんですって。中はどれもレトロなんですって。惜しいことした。いっぺん入ってみればよかった・・・

悔しいのでネット検索。休止直前の映像がYouTubeにありました。

NEWS23 博物館動物園駅
https://youtu.be/narbk77nvt0

で、驚け。じゃなくて驚きなさいまし。あれこれ見ていたらなんと「寛永寺」の駅まであったんですと↓。

京成電鉄・・・かつて輝いた場所
https://youtu.be/4GDlM1gUXXE

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寛永寺駅跡(10秒目あたり)。知らんかった・・・

地上部は痕跡があるそうですから、今度行ったら見てこよう。(とことん野次馬です。)

休止直前(平成9年2月7日)の博物館動物園駅の内部の動画はこちら。おどろおどろしくレトロです。

京成電鉄 博物館動物園駅
https://youtu.be/azbKvWvwpes

↓これは左へ回ったところ。こちら側からも入れたのかな。

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何様式でしょうかしらねえ。

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ギリシャにもカンボジアにも思えます。

で、お目当てはこちらでございます。

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通りを挟んだ向かい側にございます「黒田記念館」。

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ほっほっほ。見事でございましょ。

国立博物館の1施設のようでございます。博物館HPによりますと〈黒田清輝の遺産と作品が国に寄贈されたことが契機となって建てられた施設〉だそうです。当然、展示物は黒田先生の作品。

玄関入って振り向いたところです。

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展示室は2階です。赤絨毯の階段を上がっていきます。

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踊り場の窓がなんともよろしい雰囲気でございます。

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2階の奥、廊下の突き当たりが「黒田記念室」。

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アトリエ再現・・・ではないでしょうね。

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イーゼルと椅子はお使いになっていたもののようです。

「昔語り図画稿 (舞妓半身像)」明治29年(1896)が展示されていました。

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おお素晴らしい、と見とれてしましました。図画稿とはいわば下書きのようなもの。これらのモチーフから油絵が制作されましたが、戦火で失われてしまったそうな。

黒田記念室から廊下側を見たところです。

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天井が素敵なんですよね・・・

隣の資料室の天井も。

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資料室の窓辺・・・

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それほど広い建物ではございません。2階には他に映像室と特別室。

ビデオみる気分でなし、何か調べにきたでもなし、これにて帰ります。

2階、階段手前で見る踊り場の窓。

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なんと乙女ちっくな気分にさせてくれるのでしょう。

下りも赤絨毯を踏んでまいります。

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で、1階に降りてきますと、その先に続きがありまして、ほとんどの人がそのまま地下へ降りて行ってしまいます。

如何にも「ここを降りていくのですよ」、という雰囲気。

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が。その先は行き詰まり。たいていの人が途中で、「あ」、と気づいて戻っていきます。

敢えて降りる物好きもおります。

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へへへ。降り切って見上げています。写真の右側は舞台裏的にゴタゴタしておりました。

で、まだ続くのですよ。あと1回で終われるかなぁ。

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2015年6月26日 (金)

上野東照宮の灯籠

6月7日上野恩賜公園散歩の7です。

上野東照宮には灯籠がたくさんあります。

大きく二つに分けて、唐門前の「銅灯籠」と参道の「石灯籠」。

↓金属の方。

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銅ですので緑青を吹いておりますが、巨大で立派。ずらりと並ぶと圧倒されます。隙間をちょろちょろ廻りましたが、いま大地震が来たら間違いなく潰されるな・・・と小心者ゆえ恐怖を覚えました。

上野東照宮のHPによりますと、

〈全48基。国指定重要文化財。諸大名から奉納されました。
唐門両側の6基は、内側より紀伊・水戸・尾張の徳川御三家より2基ずつ寄進されたものです。 〉

そうです。この写真は、はて、御三家のじゃなさそうだな。

灯籠の間をネズミよろしくちょろちょろすると、いろいろ面白そうなものがありました。

とっとこ歩いて行く龍。足の運びがウナギ犬みたい・・・

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お説教するお獅子と、聞きたくもないのに聞かされているお獅子。

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がみがみがみがみ・・・(うぜえ。早く終われ・・・)

見返りお獅子。

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後ついてくんじゃないわよ。しっしっ。

約360年分の腐食と緑青・・・それでもモノは形が残る。

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これを作った人(職人)は骨さえ残っていないでしょうね。名前はどこかに残っているのかな。

こちらもお獅子。

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小さくてはっきりしませんが、別れ際が悪そう。

「とっとと行きやがれ」「てめえの面なんぞ金輪際見たくもねえやい」・・・

箱から出せ、と言ってるみたいな龍。下は水紋でしょうか。

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まだまだいっぱいありますが、ありすぎてクラクラして辞去。

時間のあるときに、1個ずつゆっくり見て回るのも面白そうです。

ついでに、奉納したのはどこのお殿様かもじっくり見てくるべし。

で、石灯籠はというと、巨大なのが参道にずらりと・・・

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右奥のちょこっと赤いのが、水舎転用の門のあたりです。

この写真には少ししか写っていませんが、そりゃもう左右にぎっしり並んでいます。

〈200基以上あり、ほとんどが現在の社殿の建築の年1651年(慶安4年)に諸大名より奉納されたものです。〉

うち一基を何気なく写真に撮ってきました。

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ふむふむ。

東照宮 廟前

 慶安四年辛卯四月十七日

 従四位下丹羽左京大夫藤原朝臣光重」

だそうです。繰り返しになりますが、慶安四年は1651年です。約360年前です。

ほえ~、とマヌケな声しかでません。

よくぞ、これまでご無事で。数々の大震災にも、明治維新の動乱にも、太平洋戦争の空襲にも負けず、残っているとは。これからも安泰でありますように。

ところで。

丹羽左京大夫藤原朝臣光重」さんて誰?

ネットで調べたら、福島のお殿様でした。

二本松市 ふるさと人物史「丹羽 光重」
http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/soshiki/54/393.html

〈二本松藩の基礎形成者 丹羽 光重(にわ みつしげ):1621年~1701年〉

名君だったそうです。

はあ、上野の構築物は奥が深い・・・

まだ、続きます。

ととと、一つ忘れました。お化け灯籠。

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境内じゃなくて、少し離れた場所にあります。

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高さ6.06メートルだなんて。ワタシが縦に4人並んでしまいます。

でかけりゃいいってもんじゃないでしょ・・・

いや、大きいことはいいことかな。権力・財力誇示用でもありますもんね。

寄進は寛永8年(1631年)。上野東照宮創建は寛永4年(1627年)です。

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2015年6月24日 (水)

上野東照宮

6月7日上野恩賜公園散歩の6です。雑用で途切れ途切れですが延々と続きます。

東照宮でございます。

上野に東照宮があると知ったのはつい最近のこと。東京に出てきて何十年も経つのに、全くどこに目が付いていたんでしょうね。

日光にあるものとばかり思っていましたが、日本全国に500社以上もあるんだとか。世の中知らないことだらけ。無知は歳とっても無知・・・

さて、東照宮といえば金綺羅金です。京都の寺社は風情があってよいが、東照宮はキッチュだ、という方もいらっしゃいますが、わびさびが売りの古寺社だって、建築当時は金綺羅金だったはず・・・

唐門でございます。

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ここまでは誰でも入れます。門の奥に重要文化財の社殿がございますが、拝観料が必要でございまして、どうしようかな、ぼたん苑も見たいんだよな、季節外れだよな・・・でパス。

唐門も重要文化財でございまして、HPによりますと 〈左甚五郎作の昇り龍・降り龍の彫刻があり、 毎夜不忍池の水を飲みに行く〉 んだそうです。池のカミツキガメと夜な夜なバトルするのかな。

昇り龍ゲット。

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HPに曰く 〈偉大な人ほど頭を垂れるということから、頭が下を向いている方が昇り龍〉 ですって。頭が上向いてる降り龍は・・・人いっぱいで写真撮り損ねました。

HPにさらに曰く 〈上部の錦鶏鳥・銀鶏鳥の透彫は精巧で美しく、室町桃山時代の技術を集大成したもの〉 だそうです。

これかな。ぼけぼけですみませぬ。

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で、内側(今回入らなかった方)には 〈諫鼓鳥(かんこどり)〉 がいるんだそうです。

閑古鳥、じゃなくて。中国の故事に基づき、天下泰平の願いを込めたそうです。

詳しいことは上野東照宮HP http://www.uenotoshogu.com/spot/ 唐門をご覧くださいまし。

これは透塀です。これも重要文化財。向こうが透けて見えるから透塀ですって。そのまんま。

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屋根の向こうに高層ビルが見える・・・

こっちなら、ビルは見えませんが樹が邪魔・・・

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透塀の 〈上段には野山の動物と植物、下段には海川の動物の彫刻〉 があるそうです。

これは上の段でいちゃいちゃする鳥さん。

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下段は・・・丸ごと見落とし・・・ もう一回行こ。拝観料払って中も見てこよ・・・

唐門前の狛犬さんですよ~ 狛獅子さんかな。

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右と左で雰囲気が違うのはカメラが違うから。

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途中で電池切れになりました。もう一台持っててよかった。

むきむき筋肉獅子。

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おう、いっちょやるか。なんて言ってません。

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順番が前後しますが、東照宮入り口。

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小さすぎる門、と思ったら本来の門ではなく「水舎」の屋根を転用したんだとか。

どうりで両脇がコンクリートブロック・・・赤く塗ってもブロックはブロック・・・

しかしながら、水舎の屋根の細工は凝ったものだそうで。次じっくり見てきます。

東照宮の来歴などはこちらにございます。

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おっと、忘れるところでした。「旧」寛永寺の五重塔。参道から見えます。

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「旧」というのは、今は東京都のモノであるゆえ。

ネット情報によりますと

〈元々は上野東照宮の五重塔でしたが明治の神仏分離によって寛永寺の帰属となり、戦後は東京都が管理。〉
http://www.uraken.net/rail/travel-urabe78.html

だそうです。

上野動物園の中にあります。昔動物園に何度も入ったのにね~、まったく覚えておりませんです。人間、見たいものしか見ませんわね。

で。続きますです。

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2015年6月20日 (土)

左は「ぶつえん」

6月7日上野恩賜公園散歩の5です。

上野大仏の近くに突如トーテムポール。

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通せんぼしてるみたい、と思うのは、思う側の人間性の問題でありましょう。

ライオンが「LION」だと名札を掲げてます。しかもインターナショナルだと。

どういうこっちゃ。

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表示を見たら、ライオンズクラブが作ったライオン付きトーテムポールでした。

そういうことですか。ポールの下部は道案内になっているようですが、右に行けば、「博物館・西洋美術館」、左は「ぶつえん」だそうです。はて?仏縁?

と考え込むまでもない、左は「どうぶつえん」でありましょう。何があったか知りませんが、「どう」の部分が欠けちゃったようです。そのままにしとくってどうよ・・・

とアホウな物言いは止めましょう。

1964年 3月23日完成のようです。↓こんなんが出てきちゃいました。

〈このトーテムポールは我々上野ライオンズクラブの会員が手に手を取りあってつくりあげたものである。
This Totem Pole was carved hand in hand by members of Tokyo Ueno Lions Club.
Date created or placed: March 23, 1964〉

http://www.waymarking.com/waymarks/WM60QA_Totem_Pole_in_Ueno_Park_Tokyo_JAPAN

できるだけ孫引きでないサイトを・・・と探した結果です。多分、現物脇の掲示板に同じことが書かれているんじゃないかと。

あ、トーテムポールね、へえ、ふーん、ですっ飛ばしてきちゃいました。次、じっくり読んできます。

ネット検索ついでに、豆知識を仕入れました。

http://www.guidenet.jp/tk/hanami/hanami_annai.php
上野・浅草ガイドネット

〈上野公園内には桜の開花を告げる基準木が1本あります。
この桜の木を元に開花宣言がされますが、どの木が基準木か知ってますか?上野公園の基準木は桜並木の通りにトーテムポールがあります、その前の木が基準木です。〉 
だそうです。

で、トーテムポールですが、動物でないものも混じっているようです。チンパンジーの上あたり。なんでしょね。横はカバ、下はアカンベーしてるトラみたいです。ワニは舌なめずりしてるみたい。

キリンの耳にはフクロウの翼が生えて、しかも乾物オオカミみたいなものが貼り付いて、なかなかの出来栄えです。

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キリンの頭にも何かしがみついてます。いったい何種類隠れているのかな。今度いったら数えてこよう・・・望遠鏡を持っていかなくちゃ・・・

まだまだ続きます。本日はせっかくのお天気なのに、お仕事してます・・・

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2015年6月19日 (金)

上野大仏のおうちの謎

6月7日上野恩賜公園散歩の4です。

大仏様は小高い丘におわします。(御座します、と書くんだそうで)

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人だらけでした。写真撮りようがなくパスして、夕方閉門近くに通りかかったら、おほほ、でかした、人いない。

正面から堂々と撮らせていただきました。

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デカい顔、なんて言っちゃいけません。受験生には大変ありがたい大仏様なのです。

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あらナマズのようなおヒゲがござる。鼻も額のほくろ?も大きすぎる気がしますが・・・古のスタンダードだったのかな。

いくたびも落ちただけあって、おいたわしや傷が目立ちます。額の両脇、頬には瘢痕。唇が赤いのはなんでしょうね。

記憶では、↓このパゴダの入り口に、でーんとお顔があったような・・・

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そんな事実はございませんので、ワタシの記憶がインチキです。しょーもない。

さて、この大仏さま、案内図には

〈寛永8年(1631年)・・・造・・・。建立当時は像高6mであった。大地震で3回、火事で1回と計4回も首が落ちた。・・・関東大震災によって崩壊したのち・・・〉 顔だけになっちゃったと。

これ以上落ちないということで受験生が合格祈願するんだそうで。

どんな具合に変遷したかの詳細はwikipediaから抜き書きすると

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正保4年(1647年)、地震により倒壊。

天保12年(1841年)、火災により大仏、仏殿が損傷。

安政2年(1855年)、安政大地震により、頭部が破損。

明治8年(1875年)、上野恩賜公園の整備に際し仏殿を撤去。

大正12年(1923年)、関東大震災により頭部落下。資金の目処立たず再建放棄。

昭和15年(1940年)、軍需金属資源として顔面部以外供出され消滅。

昭和47年(1972年)、寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置。

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ですが、この年表、確かかな・・・仏殿は明治8年に撤去とあるけれど

『鹿鳴館秘蔵写真帖』 
江戸城 寛永寺 増上寺 燈台 西国巡幸
社団法人霞会館編 平凡社 1997年7月発行 では

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80頁 「4 大仏堂」 〈御堂は高橋由一のスケッチなどから明治10年(1877)頃まで存立したことが確認できるが、大正期には取り払われて露座の大仏となっている〉

一方、

『よみがえる明治の東京 東京十五区写真集』
玉井哲雄編集 石黒敬章規格 角川書店 1992年3月20日

215頁「15 大仏覆屋」 

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〈前面は荒涼とした更地となり、画面右端には何も見えないので、戊辰戦争直後の状況を撮った写真であろう。〉 (出典:内田九一)

同書同頁 「16 大仏」 

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明治6(1873)年に覆屋が取り払われたため大仏が露仏となっており〉・・・(出典:フランス人収集アルバム)

少し調べただけで、明治6年、8年、10年説あり。

どこかに正確な原資料があるのでしょうけどね、孫引き重ねて訳わかんなくなっちゃったみたい・・・

上野恩賜公園整備の詳細資料を探しましたがネットに無し。

↓これなら正確かな・・・明治6年かな・・・

長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・ベース
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=4799
〈殿舎(覆屋)が無いので、明治6年(1873)以降。〉

放送大学附属図書館
http://lib.ouj.ac.jp/koshashin/uenodaibutsu.html
〈明治6年〉

首の落ちる前、落ちた後の写真は↓このサイトにありました。惜しいことに出典不明。

上野公園とその周辺 目で見る百年の歩み
http://www.ueno.or.jp/history/history_03.html

ご難の大仏

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〈大仏殿が取り払われ露座となり、やがて光背がとれ(下左)大地震で首が落ちた(下右)〉

後の2枚の写真は上のサイトでご覧くださいまし。

で、続きます。

6/20追記:上記サイトの写真の左に年表がありました。

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明治6年(1873)

03.25 旧上野寛永寺境内ほか四ヵ所が公園に制定された。

04.  上野公園開設

04.  大仏殿撤去

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明治6年が正解。wikipediaの「明治8年」が引用されて、広まっちゃっています。いいんですかい。

なお、「上野公園とその周辺 目で見る百年の歩み」には書籍版がありまして、昭和48年10月5日発行 編集責任者:田中幸太郎 発行所:上野観光連盟。その40-41頁に大仏関係が載っています。

40頁に曰く

〈 「明治ご一新」 大仏殿は、上野の戦争のとき、かろうじて焼失をまぬがれたが、その後ご一新の荒波が吹きまくり、旧物打破、わけても徳川のにおいのするものは手あたりしだい取りこわされ、大仏殿もご難にあった。〉

徳川憎けりゃ仏殿まで憎い・・・

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2015年6月17日 (水)

ワニ博士

6月7日上野恩賜公園散歩の3です。

この回の内容は実はすっ飛ばしたかったものばかり。だってぇぇぇ・・・なんだか分からんかったのですよ。アホウな自分がいけないんですけどね。

で、いきなりワニ博士の碑。

ワニ? 鰐? アリゲーター? クロコダイル? カミツキガメ?

そんなことを考えてしまったのは、不忍の池でなんどかワニガメ(カミツキガメ)が見つかっているから。

上野の不忍池にカミツキガメ 2010年6月2日(水) 13時57分掲載
不忍池にカミツキガメ=体長1メートル―東京・上野公園

 2日午前6時半ごろ、東京都台東区の上野公園で、「公衆トイレに大きなワニガメがいる」と通行人の男性から警視庁上野署に通報があった。同署員が駆け付けたところ、同公園の不忍池で泳いでいるカミツキガメを発見し、網で捕獲した。(時事通信)http://news.yahoo.co.jp/pickup/2124117

どれほど凶暴なご面相かはこちらの方のブログに記事入りで。
http://wanigame.exblog.jp/d2010-06-03/

↓で、何が狙いかさっぱりわからない写真。こういう写真を撮っちゃいけません。

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載せてもいけないけど、他に適当なものがないのであしからず。

↓ワニ博士の碑です。

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どういう人かと言うと、大昔の偉い人です。(^-^;

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〈「古事記」などによると、王仁(わに)博士は古墳時代前半に百済国から渡来し、「論語」・「千字文」を伝えた学者〉 だそうです。

一番上の写真の右側に↓こんな立札がありましたので、最初はてっきり菅原道真公の碑かと思いましたぞ。

味わい深い書体でありますが、どなたがお書きになったのでしょう。

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しかして何ゆえここに「菅公詠梅」が?

wikipediaなどによりますと、上野公園内にあります「五條天神社」は医薬祖神であられまして、お祭り申しておりますのは、「大己貴命」さまと「少彦名命」さまであられますが、「菅原道真公」も一緒にお祭りされているとのこと。

ああ、そうでしたか。無関係じゃないんだ。

でも、なぜワニ先生の隣に? 

道真公は日本三大怨霊の「祟る神様」として有名ですが、ワニ先生なら人徳ゆえ祟られもしまいということですかね。(違うでしょうね。)

祟られた、と思うのは、当人に後ろめたいものがあるからだそうです。

故に、生きているうちに粗末にした分を、丁寧にお祭り申し上げると・・・死んでからじゃおせーよー、と凡人は思ひまふ。

三大怨霊のあとの二人は、平将門さんと崇徳上皇さんです。いずれも不本意に人生を終えていらっしゃるようです。

で。一番上の写真の左側にも何か石碑が写っているのですが、もうめんどくさ・・・

次行きます。転回騒擾毛髪等・・・違います。天海僧正毛髪塔。

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偉い坊さんの髪の毛を納めているんだそうです。

天海さまは、家康公の神格化に大いに貢献したそうな。

寛永寺を創建したそうな・・・そうか、だから供養塔があるんだ。

108歳まで生きたそうな・・・当時としては不死に近いんじゃなかったかしら。

↓これが「毛」のお墓。

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手を合わせましたが、中に入ろうという気分にはなれませんでした。無知の罰当たりもんの入るところじゃない・・・

変わりまして↓摺鉢山でございます。

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石段じゃないかって。山と行っても海抜23.326メートル(『こんなに面白い上野公園』林丈二 丹尾安典 新潮社 1994.3.20)でして、いわゆる山写真は撮れませぬ。

古墳だそうです。約1500年くらい前の前方後円墳。弥生式土器も出ているそうです。ちょいさびしいところで、昔は情死沙汰があったそうな。

お山に上がって下りて、公園管理所で案内図をいただいて、ふと横を見ると

↓「正岡子規記念野球場」ですと。そんなものがあるとは、この日まで知らんかった。

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何ゆえに冠が「正岡子規」? 案内図解説によると

「正岡子規が学生時代、上野公園で仲間と野球を楽しんでいたことから・・・平成18年・・・に命名」したそうな。平成18年・・・ワタシの知ってるのは昭和の頃ですもんね。

baseballを「野球」と訳したのは正岡子規、と長く言われてきましたが、ネット情報によると正しくは「第一高等中学校の野球部員 中馬庚」さんだとのこと。

しかし、正岡子規は野球用語を数多く翻訳して野球普及に貢献しているそうな。

↓摺鉢山近辺の茂みに小さきトラありて、くつろぐ二人のババと仲良く交歓。

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まだ蚊もいないからでしょうが、ご近所の方と思しきおばあさん二人が茂みに敷物広げてお弁当出しておしゃべりしていました。

「あんたねえ、それが」とか「そうなのよ」と下町風の生きのよい会話に、いちいち猫が相槌打ってるみたいな雰囲気でして。

虎模様の猫を見て思い出しました。上野動物園の黒豹脱走事件。昭和11年のことゆえ、知ってるはずもございませんが、似たような事件がありました。

日本が高度成長しておりました昭和30年代、ワタシがまだかわいらしい子どもだった頃、市立動物園から豹が脱走しまして大騒ぎになりまして、その時上野動物園の黒豹脱走事件が引き合いにだされた記憶があります。

上野の黒豹は無事保護されたようですが、ワタシの田舎では重傷者一名を出した挙句に射殺されました。

家から出ちゃいけないと厳命されましたが、言われなくても恐くて閉じこもっておりました。

遠い日のことです・・・

続きます。次、上野大仏の予定。

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2015年6月15日 (月)

清水の舞台から高層ビルが見える

6月7日上野恩賜公園散歩の2です。

公園管理所でいただいた案内図を見ながら写真と頭を整理していて、「かえるの噴水」という面白そうなものを見落としていることに気がつきました。

ほかにも見落としているな・・・もう一度行くかな・・・藝大美術館の券もあるし・・・

とりあえず前回の続き。

こちら清水観音堂(寛永寺清水堂)でございます。と言いたいのですが、人だらけ・・・ちゃんとした写真が撮れませんでした。

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内部も撮影禁止だし。脇の掲示なんぞでごまかそうかと・・・

あれ、この浮世絵とずいぶん雰囲気が違いますわね。

現実の舞台から見下ろすと、樹がこんもりとしています。

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樹、樹、樹。中央奥に弁天堂。背後は高層ビル。池はどこよ・・・

↓清水坂から見上げても、樹、樹、樹。

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あ、清水坂は「きよみずざか」です。「しみずざか」と読みませんように。(読んだアホウが一人・・・(^-^; )

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せっかく降りた坂をまた上って、清水の舞台(の端っこ)。

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ここも人だらけで写真撮れず。名物「月の松」は下から撮りました。清水坂を何回上り下りしたことか。

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は? 松の形が違うじゃありませんか。

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どうなってんのよ。とアホウが一人文句を言いそうになりましたが、松が違うには訳がある。

歌川広重さんが『名所江戸百景』描いたのは安政3年(1856年)~5年(1858年)。

それから約160年。松の寿命は長いとはいえ、上野戦争、関東大震災、空襲といろいろありました。どっかで焼かれちゃって・・・

じゃなくて、台風だそうです。

http://taito-culture.jp/topics/tsukinomatsu/index.html
台東文化ガイドブック 清水観音堂の月の松

〈明治初期の台風により被害を受けて永らく失われていましたが、浮世絵にも描かれていた江戸の風景を復活させるため、平成24年(2012)12月に復元されました。〉

あら、復活したのはつい最近だったのね。へー、じゃ見たことない人、大勢いるんだ。

また清水の舞台に戻りまして、向こうに見えますは渡り廊下。花頭窓が大層よろしいかと。

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渡り廊下の向こうの建物は何なのでしょう。今のところ、ネットではわかりませぬ。

また清水坂を下って、ぐるーっと回って、別の坂↓

9512_150607sando

を上って渡り廊下の下を通り抜けて振り返りますと、

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そこは参道でした。

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こちらに案内板があるということは・・・逆走したみたい。つくづく逆コース人生。

一歩下がって、清水観音堂の裏側を眺めます。

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舞台のある方に比べて、正直面白くもなんともありませんなあ。

この次は人出の少ない日(大雨だとか)に行って、月の松の輪っかから何が見えるか、写真撮ってきます。

で、まだ続くのですが、上野大仏が出てくるのはまだ先であります。

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2015年6月12日 (金)

西郷さんのぐー

6月7日上野恩賜公園散歩の1です。

いつもは公園口から国立博物館や美術館へ行くのですが、今回は趣向を変えて、しのばず口から。京成上野駅のあるほうです。

こちら側を行くのは数十年ぶり。変わっちゃいましたわね。

懐かしの「上野松竹デパート」などは再開発されてこぎれいになっちゃって面影なし。

時代は移り変わるのよね。人間だって古くなるし・・・

さて、「しのばず口」から「袴腰」と呼ばれる階段をとことこ上ります。だだっ広い石段です。

上がったら今度は右へまた階段を上がります。上がったところを「山王台」と言うんだそうです。もしくは「桜ヶ岡」。西郷さんのおられる一角です。

と知ったように書きましたが、実は記憶の中の脳内地図が大混乱をしておりまして、「あれこんなところに西郷さん」の方が正しい。いろいろごっちゃになって、動物園の入り口近くにいらっしゃるものとばかり・・・(田舎モンである由)

↓階段脇のこれは何でしょう。

9495_150607ueno

分かりませんが年代物のようです。上部の格子の白はガラスのような気がしますので、「街燈」かな・・・ 石部分が黒いのは焼け焦げかな・・・ 太平洋戦争時に空襲で寛永寺の歴史的建物などが焼失しているそうです。

真ん中の白い筋はなんでしょうねえ。

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で、すっくと青空に立つ西郷さん。西郷どん、ですかな。

9497_150607saigo

お供は西郷どんの愛犬「ツン」ですが、モデルは別の犬だとか(wikipedia)。

そもそも、この西郷どん像も本人の姿じゃないという話がありますわね。写真がないもので、弟といとこの風貌から想像したとか。

wikipediaによりますと、こちらの絵が実物に近そうです。

Saigotakamoriuniform
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2c/SaigoTakamoriUniform.jpg

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腹の出具合と脚の短さと頭のでかさはウチの爺様並みだな・・・

この西郷どん、すんごく力んでいませんか。ツンちゃんのリードを「ぐー」で握りしめています。悪い奴が近づいてきたら、ツンちゃんごと振り回して撃退しそう。

西郷どんの近くには「敬天愛人」の碑。

9501_150607saigo

ぴっかぴかで、通行人が写っちゃっています。光が反射しすぎで読めませぬ。(読む気もありませぬ。)

あまりにも有名でいまさら解説なんぞ・・・と言いたいのですが、ワタシ日本史がからっきしダメ。知ったのは数年前のことです。ああ恥ずかしや。

ワタシ同様知らない方は「敬天愛人の教え」あたりをネット検索くださいまし。

西郷どんの近くには、血の滴るような真っ赤な花が咲いています。

9499_150607ueno

大きな木で全体も撮りましたが、見事なピンボケにて割愛。

アメリカデイゴ。和名カイコウズ(海紅豆)。マメ科です。どんな豆がなるのでしょう。

上野恩賜公園は、その昔は血を血で争った地でありました。幕末(慶応4年5月15日(1868年7月4日))の上野戦争の舞台です。

彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍が争い、彰義隊壊滅。

この時、寛永寺の多くが焼けちゃったんだとか。(知識不足で断言できません。これから資料読みますです。)

とりあえず写真をば。

150612kaneiji

『鹿鳴館秘蔵写真帖』 江戸城 寛永寺 増上寺 燈台 西国巡幸
社団法人霞会館編 平凡社 1997年7月発行からお借りしました。

78頁 「2 中堂跡」 手前の石の並んだのが、焼けちゃった中堂のようです。

彰義隊墓所。

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丸に義の字。花が枯れちゃってます・・・

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歴史知識があやふやなので薀蓄傾けての解説はできませぬが、村田喜代子さんの小説だったか、その昔の娘時分に上野のお山の戦争を見た祖母曰く「刀傷は汚くて嫌だ」・・・鉄砲傷なら死体にそれほど損傷はないが、刀でバッサリはとてもエグかったそうな・・・読んだ記憶が曖昧ですみませぬ。

拡大すれば読めます。

9503_150607shogi

ということで、無知丸出しの上野のお山見物が続くのであります。

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2013年10月22日 (火)

皇居東御苑

10月の三連休、仕事で丸潰れはやはり悔しい。

14日に頑張ればなんとかなるでしょと、真ん中の10月13日、皇居東御苑に行ってきました。

目的は、宮内庁三の丸尚蔵館です。

以前、

 第53回
 外国(とつくに)からのごあいさつ-贈られた異国の美
 平成23年1月22日~3月13日

の展示を見にいけなかったのが心残りで機会をうかがっていました。ふと思いついたのが13日。いつ行くの今でしょ。

今なら「美を伝えゆく -名品にみる20年の歩み-」をやっています。11月24日まで。

で、ペットボトルに水を詰めて、お弁当はクラッカー持って行くことにして、行ってきま~す。

幸せなことに皇居へは乗り換えなしの電車1本で行けます。

竹橋駅で降りると、目の前に皇居のお堀が見えます。

6222_131013hori

お堀の水が抹茶ラテ色・・・

↓これは竹橋のたもと。

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新しく見えるのはメンテナンスの賜物だと思います。

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大正15年竣工、平成5年に大林組が改修しとりますな。

↓竹橋御門、とあります。

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↓旧江戸場内曲輪15門の一つだそうで、竹で編んだ橋が架かっていたそうな。

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↓これは「北桔門」(きたはねもん)です。ここから入ります。

6225_131013kitatume

皇居の周辺の道はランナーで一杯でした。

皇居一周ランニングがブームだとは聞きましたが、歩く人より走っている人のほうが多い・・・

歩行者優先と注意書きがありますが、団体で走ってこられると軟弱歩行者にはちょっと怖かったりします。

門手前の警備所。

6226_131013mon

へへへ、後ろから撮っちゃいましたよ、警備員さん。

北桔門。内側から撮りました。

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上の写真の左側に、入場券(チップ)を渡してくれるところがあります。

帰るときにチップを返却します。

「皇居東御苑」に来るのは初めてなので、どの門で返してもいいのか、案内図はないか、と係りの人に言いがかり、じゃなくて教えを請いました。

どこで返してもいいそうです。案内図は、ほぼ反対側の大手門近くの売店にあるそうな。

よって、そこに辿りつくまで案内図無し・・・

隣の北の丸公園などは何度も来たことがありますが、「皇居東御苑」が一般開放されていることはつい最近知りました。(昭和43年10月から公開)

東京に何十年住んでても、知らないことがたくさんあるのですよ・・・

↓いきなり面白そうな建築物がありました。

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桃華楽堂だそうです。

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〈香淳皇后(昭和天皇の皇后)の語還暦をお祝いして建設(昭和41年)された音楽堂〉(案内地図から)だそうです。

ところで、苑内外国人率高し。見た目で外国人と分かる人も多いのですが、話している言葉を聞いて東洋系外国人とわかる人も多し。観光スポットとしては最適なのでしょうね。

ご存知の通り、皇居の前身は江戸城です。当然遺構多し。

↓マヤでもなくエジプトでもなく、江戸城天守台。

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天守閣そのものは、明暦の大火(1657年)で焼失、その後再建されなかったとのことです。

追記:江戸城寛永度天守「復元図」CG
http://youtu.be/GdDWK-rgQU8

復元設計 広島大学大学院 三浦正幸研究室 CG制作 (株)エス
提供 NPO法人江戸城再建を目指す会

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お空はピーカンだし、坂道を行くのは外国人。日本の遺跡に見えません。

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上は平らになっていまして、片隅にいかにも時代劇風な松がありました。

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これも天守台の上部にあった、石階段?の名残?

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↓江戸城全体図です。ほおー・・・

6238_131013edojouzul200

天守台の麓のこれは、井戸でしょうかしら。

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とりあえず左手の平川濠に近いほうに進みます。

書稜部の建物を過ぎて、うん、江戸城ですね。名残の石垣↓ が見事です。

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石垣・・・

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石垣(梅林坂)・・・

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石垣・・・

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なんで石垣に見とれる観光客がいないのでしょう。

あんぐり口あけて、一人仰ぎ見ていると、間抜けになった気分になります。

このあと、ほぼ自然林のような新雑木林を歩きました。

山道を模した道にはどんぐりがぎっしり・・・切り株に鮮やかな色のキノコが生えていたりします。

広い通路に出た途端、頭上のカラスにぼたっと爆弾を落とされました。幸いにしてそれましたが、命中してたら間違いなく怒りくるっていました。

↓あら、よろしい雰囲気ですこと。

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全景です。

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諏訪の茶屋、と言いまして、〈明治時代に吹き上げ御殿に建てられ、ご休所として使われていた茶屋を移築したもの〉だそうです。

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横側から。

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都心にある風景とは思えませんね、といいたいのですが、手前の道が整備されちゃっています。

やんごとなき方々は斯様な所でお休みになるのですから、おのずと穏やかになられるのでしょうね。環境は大事ですよぉ・・・

苑内はとにかく広いです。

↓二の丸庭園の端っこの水の流れ出るところから、下界を行く衆生を写しました。ほほほ。

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↓降りてきて、衆生の一人となって、滝を撮りましたですよ。

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池の水はそれほどきれいではありませんが、ひれの長い珍しい鯉=ヒレナガニシキゴイが泳いでいました。

外国人の親子連れが座り込んで、それぞれケイタイで鯉の写真を撮ろうとしていましたので、邪魔しないように通り過ぎました。

↓池に枝を張りだす百日紅の木。

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幹にコケが生えてるって、どうよ。

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↓絵葉書のような日本庭園。

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〈二の丸池は、小堀遠州作といわれる庭園の泉水とほぼ同じ位置にあります。〉そうですが、どこがどの池か分かりませぬ・・・

↓菖蒲田。

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明治神宮から株分けされた花菖蒲が植えられているそうな。

で、この後、「二の丸休憩所」「湧水井戸」「白鳥濠」「同心番所」「三の丸尚蔵館」「百人番所」「中之門跡」などを通るのですが・・・カメラが・・・いやカメラじゃなくてSDカードが・・・異常だそうでして、写真が保存できなくてぇ・・・

写真を撮るのが習慣になっていると、「写真が無いのは存在しないと同じ」みたいになっちゃいます。一種の情報ブラックアウトですねぇ・・・(何が言いたい)

そうだ、別のSDカードを持ってた、と気がついたのは「大番所」に来た頃でした。

128MBと小容量SDです。これを買った頃では標準容量でしたが、時代は変わるのよね。

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装着して大番所をカシャッ。で、後戻りするのは、今日はイヤ。10月も半ばというのに、かんかん照りで結構暑いんですもん。

別の日にまた来ることになるのかしら。

いろいろすっ飛ばした後に真打登場、みたいな富士見櫓↓です。

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〈本丸地区に現存する唯一の櫓で、遺構の中では最も古いものといわれています。〉

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手前の立ち入り禁止の柵の隙間から写しました。昇ってみたい。

著名人だったら、「特別の許可」を貰って、TVクルーを引き連れて面白おかしく撮影できるでしょうけれどね。凡人には、まず無理。

昇ってどうする? どうもしませんよ。遠くを眺めたいだけですよ。

往時は天守閣を除いては一番高い建物だったのでしょう。眼下に江戸の町が広がり、遠くに富士が見える。どんな思いで人々は櫓から眺めたか。

ふっと意識を飛ばせば、低い屋根屋根が見える。円を描いて飛ぶトビの声が聞こえる。遠くには水田の青が波打っている・・・

四角い岩のような建物が所狭しと高く建ちつくす、こんな光景を、人々は思いもしなかったはず・・・

「なにい? あれえ」

物思いを打ち破る素っ頓狂な声に背後から襲われました。

「やぐらだってよ」

でかい声でしゃべるな、そこのガキ。頭悪そうに見えるぞ。親、注意せんかい。ああ無理だわな、あんたの声も輪をかけてでかすぎるよっ。

こういう時は逃げるが勝ち。喧嘩売らずにとっとと先に行きます。

とっとっ、とことこ。

おかげで、途中に「松の大廊下跡」があったらしいのですが、ぜんぜん気づかず。

緑豊かな一帯ではあります。

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途中にはさらに、「富士見多聞」という浪人の名前みたいな建物がありましたが、写真うまく撮れず掲載無し。見晴らしのよい堀端でした。

↓その先の石室。牢屋だ倉庫だと諸説あるそうです。

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日本人らしい人が英語で外国人に、「私は牢屋だと思う」というような話をしていました。ガイドさんかと思ったら、単に居合わせた人だったようです。

中はこんなです。

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火事の際に家財道具を入れた倉庫だとしたら、壁の厚さで焼失は免れたでしょうね。

牢屋だとしたら、イヤですこんなとこ。窓がないじゃないですか。拘禁ノイローゼになっちゃいます・・・と入獄するつもりになっててどうする。

写真に撮ってないだけで、苑内には茶畑やバラ園や桜の島や、見所いっぱいでした。

この日は暑くて早々に撤退しましたが、季節を変えてまた来ますぞ。

結局、入った北桔門から出ました。

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立派な門扉ですねえ。また来ますからよろしゅうお願いいたします。

この日それほど歩かず、17973歩でした。

で今、案内地図を再度広げてみていましたら、あれえ、大芝生の東側一帯を見逃しておりましたぞ。展望台や楽部やあれやこれや。

やはり、もう一度行かねば・・・今度は予備のデジカメも持っていこう・・・ 

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