西郷さんのぐー
6月7日上野恩賜公園散歩の1です。
いつもは公園口から国立博物館や美術館へ行くのですが、今回は趣向を変えて、しのばず口から。京成上野駅のあるほうです。
こちら側を行くのは数十年ぶり。変わっちゃいましたわね。
懐かしの「上野松竹デパート」などは再開発されてこぎれいになっちゃって面影なし。
時代は移り変わるのよね。人間だって古くなるし・・・
さて、「しのばず口」から「袴腰」と呼ばれる階段をとことこ上ります。だだっ広い石段です。
上がったら今度は右へまた階段を上がります。上がったところを「山王台」と言うんだそうです。もしくは「桜ヶ岡」。西郷さんのおられる一角です。
と知ったように書きましたが、実は記憶の中の脳内地図が大混乱をしておりまして、「あれこんなところに西郷さん」の方が正しい。いろいろごっちゃになって、動物園の入り口近くにいらっしゃるものとばかり・・・(田舎モンである由)
↓階段脇のこれは何でしょう。
分かりませんが年代物のようです。上部の格子の白はガラスのような気がしますので、「街燈」かな・・・ 石部分が黒いのは焼け焦げかな・・・ 太平洋戦争時に空襲で寛永寺の歴史的建物などが焼失しているそうです。
真ん中の白い筋はなんでしょうねえ。
で、すっくと青空に立つ西郷さん。西郷どん、ですかな。
お供は西郷どんの愛犬「ツン」ですが、モデルは別の犬だとか(wikipedia)。
そもそも、この西郷どん像も本人の姿じゃないという話がありますわね。写真がないもので、弟といとこの風貌から想像したとか。
wikipediaによりますと、こちらの絵が実物に近そうです。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2c/SaigoTakamoriUniform.jpg
腹の出具合と脚の短さと頭のでかさはウチの爺様並みだな・・・
この西郷どん、すんごく力んでいませんか。ツンちゃんのリードを「ぐー」で握りしめています。悪い奴が近づいてきたら、ツンちゃんごと振り回して撃退しそう。
西郷どんの近くには「敬天愛人」の碑。
ぴっかぴかで、通行人が写っちゃっています。光が反射しすぎで読めませぬ。(読む気もありませぬ。)
あまりにも有名でいまさら解説なんぞ・・・と言いたいのですが、ワタシ日本史がからっきしダメ。知ったのは数年前のことです。ああ恥ずかしや。
ワタシ同様知らない方は「敬天愛人の教え」あたりをネット検索くださいまし。
西郷どんの近くには、血の滴るような真っ赤な花が咲いています。
大きな木で全体も撮りましたが、見事なピンボケにて割愛。
アメリカデイゴ。和名カイコウズ(海紅豆)。マメ科です。どんな豆がなるのでしょう。
上野恩賜公園は、その昔は血を血で争った地でありました。幕末(慶応4年5月15日(1868年7月4日))の上野戦争の舞台です。
彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍が争い、彰義隊壊滅。
この時、寛永寺の多くが焼けちゃったんだとか。(知識不足で断言できません。これから資料読みますです。)
とりあえず写真をば。
『鹿鳴館秘蔵写真帖』 江戸城 寛永寺 増上寺 燈台 西国巡幸
社団法人霞会館編 平凡社 1997年7月発行からお借りしました。
78頁 「2 中堂跡」 手前の石の並んだのが、焼けちゃった中堂のようです。
彰義隊墓所。
丸に義の字。花が枯れちゃってます・・・
歴史知識があやふやなので薀蓄傾けての解説はできませぬが、村田喜代子さんの小説だったか、その昔の娘時分に上野のお山の戦争を見た祖母曰く「刀傷は汚くて嫌だ」・・・鉄砲傷なら死体にそれほど損傷はないが、刀でバッサリはとてもエグかったそうな・・・読んだ記憶が曖昧ですみませぬ。
ということで、無知丸出しの上野のお山見物が続くのであります。
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