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2015年6月19日 (金)

上野大仏のおうちの謎

6月7日上野恩賜公園散歩の4です。

大仏様は小高い丘におわします。(御座します、と書くんだそうで)

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人だらけでした。写真撮りようがなくパスして、夕方閉門近くに通りかかったら、おほほ、でかした、人いない。

正面から堂々と撮らせていただきました。

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デカい顔、なんて言っちゃいけません。受験生には大変ありがたい大仏様なのです。

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あらナマズのようなおヒゲがござる。鼻も額のほくろ?も大きすぎる気がしますが・・・古のスタンダードだったのかな。

いくたびも落ちただけあって、おいたわしや傷が目立ちます。額の両脇、頬には瘢痕。唇が赤いのはなんでしょうね。

記憶では、↓このパゴダの入り口に、でーんとお顔があったような・・・

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そんな事実はございませんので、ワタシの記憶がインチキです。しょーもない。

さて、この大仏さま、案内図には

〈寛永8年(1631年)・・・造・・・。建立当時は像高6mであった。大地震で3回、火事で1回と計4回も首が落ちた。・・・関東大震災によって崩壊したのち・・・〉 顔だけになっちゃったと。

これ以上落ちないということで受験生が合格祈願するんだそうで。

どんな具合に変遷したかの詳細はwikipediaから抜き書きすると

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正保4年(1647年)、地震により倒壊。

天保12年(1841年)、火災により大仏、仏殿が損傷。

安政2年(1855年)、安政大地震により、頭部が破損。

明治8年(1875年)、上野恩賜公園の整備に際し仏殿を撤去。

大正12年(1923年)、関東大震災により頭部落下。資金の目処立たず再建放棄。

昭和15年(1940年)、軍需金属資源として顔面部以外供出され消滅。

昭和47年(1972年)、寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置。

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ですが、この年表、確かかな・・・仏殿は明治8年に撤去とあるけれど

『鹿鳴館秘蔵写真帖』 
江戸城 寛永寺 増上寺 燈台 西国巡幸
社団法人霞会館編 平凡社 1997年7月発行 では

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80頁 「4 大仏堂」 〈御堂は高橋由一のスケッチなどから明治10年(1877)頃まで存立したことが確認できるが、大正期には取り払われて露座の大仏となっている〉

一方、

『よみがえる明治の東京 東京十五区写真集』
玉井哲雄編集 石黒敬章規格 角川書店 1992年3月20日

215頁「15 大仏覆屋」 

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〈前面は荒涼とした更地となり、画面右端には何も見えないので、戊辰戦争直後の状況を撮った写真であろう。〉 (出典:内田九一)

同書同頁 「16 大仏」 

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明治6(1873)年に覆屋が取り払われたため大仏が露仏となっており〉・・・(出典:フランス人収集アルバム)

少し調べただけで、明治6年、8年、10年説あり。

どこかに正確な原資料があるのでしょうけどね、孫引き重ねて訳わかんなくなっちゃったみたい・・・

上野恩賜公園整備の詳細資料を探しましたがネットに無し。

↓これなら正確かな・・・明治6年かな・・・

長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・ベース
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=4799
〈殿舎(覆屋)が無いので、明治6年(1873)以降。〉

放送大学附属図書館
http://lib.ouj.ac.jp/koshashin/uenodaibutsu.html
〈明治6年〉

首の落ちる前、落ちた後の写真は↓このサイトにありました。惜しいことに出典不明。

上野公園とその周辺 目で見る百年の歩み
http://www.ueno.or.jp/history/history_03.html

ご難の大仏

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〈大仏殿が取り払われ露座となり、やがて光背がとれ(下左)大地震で首が落ちた(下右)〉

後の2枚の写真は上のサイトでご覧くださいまし。

で、続きます。

6/20追記:上記サイトの写真の左に年表がありました。

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明治6年(1873)

03.25 旧上野寛永寺境内ほか四ヵ所が公園に制定された。

04.  上野公園開設

04.  大仏殿撤去

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明治6年が正解。wikipediaの「明治8年」が引用されて、広まっちゃっています。いいんですかい。

なお、「上野公園とその周辺 目で見る百年の歩み」には書籍版がありまして、昭和48年10月5日発行 編集責任者:田中幸太郎 発行所:上野観光連盟。その40-41頁に大仏関係が載っています。

40頁に曰く

〈 「明治ご一新」 大仏殿は、上野の戦争のとき、かろうじて焼失をまぬがれたが、その後ご一新の荒波が吹きまくり、旧物打破、わけても徳川のにおいのするものは手あたりしだい取りこわされ、大仏殿もご難にあった。〉

徳川憎けりゃ仏殿まで憎い・・・

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