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2015年6月

2015年6月26日 (金)

上野東照宮の灯籠

6月7日上野恩賜公園散歩の7です。

上野東照宮には灯籠がたくさんあります。

大きく二つに分けて、唐門前の「銅灯籠」と参道の「石灯籠」。

↓金属の方。

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銅ですので緑青を吹いておりますが、巨大で立派。ずらりと並ぶと圧倒されます。隙間をちょろちょろ廻りましたが、いま大地震が来たら間違いなく潰されるな・・・と小心者ゆえ恐怖を覚えました。

上野東照宮のHPによりますと、

〈全48基。国指定重要文化財。諸大名から奉納されました。
唐門両側の6基は、内側より紀伊・水戸・尾張の徳川御三家より2基ずつ寄進されたものです。 〉

そうです。この写真は、はて、御三家のじゃなさそうだな。

灯籠の間をネズミよろしくちょろちょろすると、いろいろ面白そうなものがありました。

とっとこ歩いて行く龍。足の運びがウナギ犬みたい・・・

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お説教するお獅子と、聞きたくもないのに聞かされているお獅子。

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がみがみがみがみ・・・(うぜえ。早く終われ・・・)

見返りお獅子。

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後ついてくんじゃないわよ。しっしっ。

約360年分の腐食と緑青・・・それでもモノは形が残る。

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これを作った人(職人)は骨さえ残っていないでしょうね。名前はどこかに残っているのかな。

こちらもお獅子。

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小さくてはっきりしませんが、別れ際が悪そう。

「とっとと行きやがれ」「てめえの面なんぞ金輪際見たくもねえやい」・・・

箱から出せ、と言ってるみたいな龍。下は水紋でしょうか。

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まだまだいっぱいありますが、ありすぎてクラクラして辞去。

時間のあるときに、1個ずつゆっくり見て回るのも面白そうです。

ついでに、奉納したのはどこのお殿様かもじっくり見てくるべし。

で、石灯籠はというと、巨大なのが参道にずらりと・・・

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右奥のちょこっと赤いのが、水舎転用の門のあたりです。

この写真には少ししか写っていませんが、そりゃもう左右にぎっしり並んでいます。

〈200基以上あり、ほとんどが現在の社殿の建築の年1651年(慶安4年)に諸大名より奉納されたものです。〉

うち一基を何気なく写真に撮ってきました。

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ふむふむ。

東照宮 廟前

 慶安四年辛卯四月十七日

 従四位下丹羽左京大夫藤原朝臣光重」

だそうです。繰り返しになりますが、慶安四年は1651年です。約360年前です。

ほえ~、とマヌケな声しかでません。

よくぞ、これまでご無事で。数々の大震災にも、明治維新の動乱にも、太平洋戦争の空襲にも負けず、残っているとは。これからも安泰でありますように。

ところで。

丹羽左京大夫藤原朝臣光重」さんて誰?

ネットで調べたら、福島のお殿様でした。

二本松市 ふるさと人物史「丹羽 光重」
http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/soshiki/54/393.html

〈二本松藩の基礎形成者 丹羽 光重(にわ みつしげ):1621年~1701年〉

名君だったそうです。

はあ、上野の構築物は奥が深い・・・

まだ、続きます。

ととと、一つ忘れました。お化け灯籠。

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境内じゃなくて、少し離れた場所にあります。

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高さ6.06メートルだなんて。ワタシが縦に4人並んでしまいます。

でかけりゃいいってもんじゃないでしょ・・・

いや、大きいことはいいことかな。権力・財力誇示用でもありますもんね。

寄進は寛永8年(1631年)。上野東照宮創建は寛永4年(1627年)です。

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2015年6月24日 (水)

上野東照宮

6月7日上野恩賜公園散歩の6です。雑用で途切れ途切れですが延々と続きます。

東照宮でございます。

上野に東照宮があると知ったのはつい最近のこと。東京に出てきて何十年も経つのに、全くどこに目が付いていたんでしょうね。

日光にあるものとばかり思っていましたが、日本全国に500社以上もあるんだとか。世の中知らないことだらけ。無知は歳とっても無知・・・

さて、東照宮といえば金綺羅金です。京都の寺社は風情があってよいが、東照宮はキッチュだ、という方もいらっしゃいますが、わびさびが売りの古寺社だって、建築当時は金綺羅金だったはず・・・

唐門でございます。

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ここまでは誰でも入れます。門の奥に重要文化財の社殿がございますが、拝観料が必要でございまして、どうしようかな、ぼたん苑も見たいんだよな、季節外れだよな・・・でパス。

唐門も重要文化財でございまして、HPによりますと 〈左甚五郎作の昇り龍・降り龍の彫刻があり、 毎夜不忍池の水を飲みに行く〉 んだそうです。池のカミツキガメと夜な夜なバトルするのかな。

昇り龍ゲット。

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HPに曰く 〈偉大な人ほど頭を垂れるということから、頭が下を向いている方が昇り龍〉 ですって。頭が上向いてる降り龍は・・・人いっぱいで写真撮り損ねました。

HPにさらに曰く 〈上部の錦鶏鳥・銀鶏鳥の透彫は精巧で美しく、室町桃山時代の技術を集大成したもの〉 だそうです。

これかな。ぼけぼけですみませぬ。

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で、内側(今回入らなかった方)には 〈諫鼓鳥(かんこどり)〉 がいるんだそうです。

閑古鳥、じゃなくて。中国の故事に基づき、天下泰平の願いを込めたそうです。

詳しいことは上野東照宮HP http://www.uenotoshogu.com/spot/ 唐門をご覧くださいまし。

これは透塀です。これも重要文化財。向こうが透けて見えるから透塀ですって。そのまんま。

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屋根の向こうに高層ビルが見える・・・

こっちなら、ビルは見えませんが樹が邪魔・・・

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透塀の 〈上段には野山の動物と植物、下段には海川の動物の彫刻〉 があるそうです。

これは上の段でいちゃいちゃする鳥さん。

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下段は・・・丸ごと見落とし・・・ もう一回行こ。拝観料払って中も見てこよ・・・

唐門前の狛犬さんですよ~ 狛獅子さんかな。

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右と左で雰囲気が違うのはカメラが違うから。

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途中で電池切れになりました。もう一台持っててよかった。

むきむき筋肉獅子。

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おう、いっちょやるか。なんて言ってません。

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順番が前後しますが、東照宮入り口。

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小さすぎる門、と思ったら本来の門ではなく「水舎」の屋根を転用したんだとか。

どうりで両脇がコンクリートブロック・・・赤く塗ってもブロックはブロック・・・

しかしながら、水舎の屋根の細工は凝ったものだそうで。次じっくり見てきます。

東照宮の来歴などはこちらにございます。

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おっと、忘れるところでした。「旧」寛永寺の五重塔。参道から見えます。

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「旧」というのは、今は東京都のモノであるゆえ。

ネット情報によりますと

〈元々は上野東照宮の五重塔でしたが明治の神仏分離によって寛永寺の帰属となり、戦後は東京都が管理。〉
http://www.uraken.net/rail/travel-urabe78.html

だそうです。

上野動物園の中にあります。昔動物園に何度も入ったのにね~、まったく覚えておりませんです。人間、見たいものしか見ませんわね。

で。続きますです。

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2015年6月22日 (月)

救急車

ほほほ、また乗りましたですよ。付き添いで。

結局入院ということになって、あたふたどたばた。

しばらくは入院騒ぎもあるまいと油断してたおかげで、入院セットがばらけていました。

既往症、入院歴、各種健診データなどの書類がつい最近までひとまとめにしてあったのに、それぞれ別ファイルに仕舞いこんじゃってて・・・

入院時必需品の樹脂製カップも転用しちゃってるので、新しいのを買いに走りました。

ティッシュペーパー? 使いかけがあちこちにありますけど、それじゃまずかろう。

スリッパ? 最近買い替えたばかりだから、これ持ってっちゃえ・・・

揃えて再度病院に行きましたら、ワタシが病院を出た後で、爺様、お熱が高騰して大変だったと。

心配はないということですけどね。

爺さん、治るまでおとなしく入院しとれよ・・・

(ワタシは催促の来ている仕事を仕上げなくちゃ)

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2015年6月20日 (土)

左は「ぶつえん」

6月7日上野恩賜公園散歩の5です。

上野大仏の近くに突如トーテムポール。

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通せんぼしてるみたい、と思うのは、思う側の人間性の問題でありましょう。

ライオンが「LION」だと名札を掲げてます。しかもインターナショナルだと。

どういうこっちゃ。

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表示を見たら、ライオンズクラブが作ったライオン付きトーテムポールでした。

そういうことですか。ポールの下部は道案内になっているようですが、右に行けば、「博物館・西洋美術館」、左は「ぶつえん」だそうです。はて?仏縁?

と考え込むまでもない、左は「どうぶつえん」でありましょう。何があったか知りませんが、「どう」の部分が欠けちゃったようです。そのままにしとくってどうよ・・・

とアホウな物言いは止めましょう。

1964年 3月23日完成のようです。↓こんなんが出てきちゃいました。

〈このトーテムポールは我々上野ライオンズクラブの会員が手に手を取りあってつくりあげたものである。
This Totem Pole was carved hand in hand by members of Tokyo Ueno Lions Club.
Date created or placed: March 23, 1964〉

http://www.waymarking.com/waymarks/WM60QA_Totem_Pole_in_Ueno_Park_Tokyo_JAPAN

できるだけ孫引きでないサイトを・・・と探した結果です。多分、現物脇の掲示板に同じことが書かれているんじゃないかと。

あ、トーテムポールね、へえ、ふーん、ですっ飛ばしてきちゃいました。次、じっくり読んできます。

ネット検索ついでに、豆知識を仕入れました。

http://www.guidenet.jp/tk/hanami/hanami_annai.php
上野・浅草ガイドネット

〈上野公園内には桜の開花を告げる基準木が1本あります。
この桜の木を元に開花宣言がされますが、どの木が基準木か知ってますか?上野公園の基準木は桜並木の通りにトーテムポールがあります、その前の木が基準木です。〉 
だそうです。

で、トーテムポールですが、動物でないものも混じっているようです。チンパンジーの上あたり。なんでしょね。横はカバ、下はアカンベーしてるトラみたいです。ワニは舌なめずりしてるみたい。

キリンの耳にはフクロウの翼が生えて、しかも乾物オオカミみたいなものが貼り付いて、なかなかの出来栄えです。

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キリンの頭にも何かしがみついてます。いったい何種類隠れているのかな。今度いったら数えてこよう・・・望遠鏡を持っていかなくちゃ・・・

まだまだ続きます。本日はせっかくのお天気なのに、お仕事してます・・・

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2015年6月19日 (金)

上野大仏のおうちの謎

6月7日上野恩賜公園散歩の4です。

大仏様は小高い丘におわします。(御座します、と書くんだそうで)

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人だらけでした。写真撮りようがなくパスして、夕方閉門近くに通りかかったら、おほほ、でかした、人いない。

正面から堂々と撮らせていただきました。

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デカい顔、なんて言っちゃいけません。受験生には大変ありがたい大仏様なのです。

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あらナマズのようなおヒゲがござる。鼻も額のほくろ?も大きすぎる気がしますが・・・古のスタンダードだったのかな。

いくたびも落ちただけあって、おいたわしや傷が目立ちます。額の両脇、頬には瘢痕。唇が赤いのはなんでしょうね。

記憶では、↓このパゴダの入り口に、でーんとお顔があったような・・・

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そんな事実はございませんので、ワタシの記憶がインチキです。しょーもない。

さて、この大仏さま、案内図には

〈寛永8年(1631年)・・・造・・・。建立当時は像高6mであった。大地震で3回、火事で1回と計4回も首が落ちた。・・・関東大震災によって崩壊したのち・・・〉 顔だけになっちゃったと。

これ以上落ちないということで受験生が合格祈願するんだそうで。

どんな具合に変遷したかの詳細はwikipediaから抜き書きすると

-----------------------------------

正保4年(1647年)、地震により倒壊。

天保12年(1841年)、火災により大仏、仏殿が損傷。

安政2年(1855年)、安政大地震により、頭部が破損。

明治8年(1875年)、上野恩賜公園の整備に際し仏殿を撤去。

大正12年(1923年)、関東大震災により頭部落下。資金の目処立たず再建放棄。

昭和15年(1940年)、軍需金属資源として顔面部以外供出され消滅。

昭和47年(1972年)、寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置。

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ですが、この年表、確かかな・・・仏殿は明治8年に撤去とあるけれど

『鹿鳴館秘蔵写真帖』 
江戸城 寛永寺 増上寺 燈台 西国巡幸
社団法人霞会館編 平凡社 1997年7月発行 では

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80頁 「4 大仏堂」 〈御堂は高橋由一のスケッチなどから明治10年(1877)頃まで存立したことが確認できるが、大正期には取り払われて露座の大仏となっている〉

一方、

『よみがえる明治の東京 東京十五区写真集』
玉井哲雄編集 石黒敬章規格 角川書店 1992年3月20日

215頁「15 大仏覆屋」 

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〈前面は荒涼とした更地となり、画面右端には何も見えないので、戊辰戦争直後の状況を撮った写真であろう。〉 (出典:内田九一)

同書同頁 「16 大仏」 

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明治6(1873)年に覆屋が取り払われたため大仏が露仏となっており〉・・・(出典:フランス人収集アルバム)

少し調べただけで、明治6年、8年、10年説あり。

どこかに正確な原資料があるのでしょうけどね、孫引き重ねて訳わかんなくなっちゃったみたい・・・

上野恩賜公園整備の詳細資料を探しましたがネットに無し。

↓これなら正確かな・・・明治6年かな・・・

長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・ベース
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=4799
〈殿舎(覆屋)が無いので、明治6年(1873)以降。〉

放送大学附属図書館
http://lib.ouj.ac.jp/koshashin/uenodaibutsu.html
〈明治6年〉

首の落ちる前、落ちた後の写真は↓このサイトにありました。惜しいことに出典不明。

上野公園とその周辺 目で見る百年の歩み
http://www.ueno.or.jp/history/history_03.html

ご難の大仏

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〈大仏殿が取り払われ露座となり、やがて光背がとれ(下左)大地震で首が落ちた(下右)〉

後の2枚の写真は上のサイトでご覧くださいまし。

で、続きます。

6/20追記:上記サイトの写真の左に年表がありました。

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明治6年(1873)

03.25 旧上野寛永寺境内ほか四ヵ所が公園に制定された。

04.  上野公園開設

04.  大仏殿撤去

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明治6年が正解。wikipediaの「明治8年」が引用されて、広まっちゃっています。いいんですかい。

なお、「上野公園とその周辺 目で見る百年の歩み」には書籍版がありまして、昭和48年10月5日発行 編集責任者:田中幸太郎 発行所:上野観光連盟。その40-41頁に大仏関係が載っています。

40頁に曰く

〈 「明治ご一新」 大仏殿は、上野の戦争のとき、かろうじて焼失をまぬがれたが、その後ご一新の荒波が吹きまくり、旧物打破、わけても徳川のにおいのするものは手あたりしだい取りこわされ、大仏殿もご難にあった。〉

徳川憎けりゃ仏殿まで憎い・・・

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2015年6月17日 (水)

ワニ博士

6月7日上野恩賜公園散歩の3です。

この回の内容は実はすっ飛ばしたかったものばかり。だってぇぇぇ・・・なんだか分からんかったのですよ。アホウな自分がいけないんですけどね。

で、いきなりワニ博士の碑。

ワニ? 鰐? アリゲーター? クロコダイル? カミツキガメ?

そんなことを考えてしまったのは、不忍の池でなんどかワニガメ(カミツキガメ)が見つかっているから。

上野の不忍池にカミツキガメ 2010年6月2日(水) 13時57分掲載
不忍池にカミツキガメ=体長1メートル―東京・上野公園

 2日午前6時半ごろ、東京都台東区の上野公園で、「公衆トイレに大きなワニガメがいる」と通行人の男性から警視庁上野署に通報があった。同署員が駆け付けたところ、同公園の不忍池で泳いでいるカミツキガメを発見し、網で捕獲した。(時事通信)http://news.yahoo.co.jp/pickup/2124117

どれほど凶暴なご面相かはこちらの方のブログに記事入りで。
http://wanigame.exblog.jp/d2010-06-03/

↓で、何が狙いかさっぱりわからない写真。こういう写真を撮っちゃいけません。

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載せてもいけないけど、他に適当なものがないのであしからず。

↓ワニ博士の碑です。

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どういう人かと言うと、大昔の偉い人です。(^-^;

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〈「古事記」などによると、王仁(わに)博士は古墳時代前半に百済国から渡来し、「論語」・「千字文」を伝えた学者〉 だそうです。

一番上の写真の右側に↓こんな立札がありましたので、最初はてっきり菅原道真公の碑かと思いましたぞ。

味わい深い書体でありますが、どなたがお書きになったのでしょう。

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しかして何ゆえここに「菅公詠梅」が?

wikipediaなどによりますと、上野公園内にあります「五條天神社」は医薬祖神であられまして、お祭り申しておりますのは、「大己貴命」さまと「少彦名命」さまであられますが、「菅原道真公」も一緒にお祭りされているとのこと。

ああ、そうでしたか。無関係じゃないんだ。

でも、なぜワニ先生の隣に? 

道真公は日本三大怨霊の「祟る神様」として有名ですが、ワニ先生なら人徳ゆえ祟られもしまいということですかね。(違うでしょうね。)

祟られた、と思うのは、当人に後ろめたいものがあるからだそうです。

故に、生きているうちに粗末にした分を、丁寧にお祭り申し上げると・・・死んでからじゃおせーよー、と凡人は思ひまふ。

三大怨霊のあとの二人は、平将門さんと崇徳上皇さんです。いずれも不本意に人生を終えていらっしゃるようです。

で。一番上の写真の左側にも何か石碑が写っているのですが、もうめんどくさ・・・

次行きます。転回騒擾毛髪等・・・違います。天海僧正毛髪塔。

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偉い坊さんの髪の毛を納めているんだそうです。

天海さまは、家康公の神格化に大いに貢献したそうな。

寛永寺を創建したそうな・・・そうか、だから供養塔があるんだ。

108歳まで生きたそうな・・・当時としては不死に近いんじゃなかったかしら。

↓これが「毛」のお墓。

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手を合わせましたが、中に入ろうという気分にはなれませんでした。無知の罰当たりもんの入るところじゃない・・・

変わりまして↓摺鉢山でございます。

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石段じゃないかって。山と行っても海抜23.326メートル(『こんなに面白い上野公園』林丈二 丹尾安典 新潮社 1994.3.20)でして、いわゆる山写真は撮れませぬ。

古墳だそうです。約1500年くらい前の前方後円墳。弥生式土器も出ているそうです。ちょいさびしいところで、昔は情死沙汰があったそうな。

お山に上がって下りて、公園管理所で案内図をいただいて、ふと横を見ると

↓「正岡子規記念野球場」ですと。そんなものがあるとは、この日まで知らんかった。

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何ゆえに冠が「正岡子規」? 案内図解説によると

「正岡子規が学生時代、上野公園で仲間と野球を楽しんでいたことから・・・平成18年・・・に命名」したそうな。平成18年・・・ワタシの知ってるのは昭和の頃ですもんね。

baseballを「野球」と訳したのは正岡子規、と長く言われてきましたが、ネット情報によると正しくは「第一高等中学校の野球部員 中馬庚」さんだとのこと。

しかし、正岡子規は野球用語を数多く翻訳して野球普及に貢献しているそうな。

↓摺鉢山近辺の茂みに小さきトラありて、くつろぐ二人のババと仲良く交歓。

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まだ蚊もいないからでしょうが、ご近所の方と思しきおばあさん二人が茂みに敷物広げてお弁当出しておしゃべりしていました。

「あんたねえ、それが」とか「そうなのよ」と下町風の生きのよい会話に、いちいち猫が相槌打ってるみたいな雰囲気でして。

虎模様の猫を見て思い出しました。上野動物園の黒豹脱走事件。昭和11年のことゆえ、知ってるはずもございませんが、似たような事件がありました。

日本が高度成長しておりました昭和30年代、ワタシがまだかわいらしい子どもだった頃、市立動物園から豹が脱走しまして大騒ぎになりまして、その時上野動物園の黒豹脱走事件が引き合いにだされた記憶があります。

上野の黒豹は無事保護されたようですが、ワタシの田舎では重傷者一名を出した挙句に射殺されました。

家から出ちゃいけないと厳命されましたが、言われなくても恐くて閉じこもっておりました。

遠い日のことです・・・

続きます。次、上野大仏の予定。

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2015年6月15日 (月)

清水の舞台から高層ビルが見える

6月7日上野恩賜公園散歩の2です。

公園管理所でいただいた案内図を見ながら写真と頭を整理していて、「かえるの噴水」という面白そうなものを見落としていることに気がつきました。

ほかにも見落としているな・・・もう一度行くかな・・・藝大美術館の券もあるし・・・

とりあえず前回の続き。

こちら清水観音堂(寛永寺清水堂)でございます。と言いたいのですが、人だらけ・・・ちゃんとした写真が撮れませんでした。

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内部も撮影禁止だし。脇の掲示なんぞでごまかそうかと・・・

あれ、この浮世絵とずいぶん雰囲気が違いますわね。

現実の舞台から見下ろすと、樹がこんもりとしています。

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樹、樹、樹。中央奥に弁天堂。背後は高層ビル。池はどこよ・・・

↓清水坂から見上げても、樹、樹、樹。

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あ、清水坂は「きよみずざか」です。「しみずざか」と読みませんように。(読んだアホウが一人・・・(^-^; )

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せっかく降りた坂をまた上って、清水の舞台(の端っこ)。

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ここも人だらけで写真撮れず。名物「月の松」は下から撮りました。清水坂を何回上り下りしたことか。

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は? 松の形が違うじゃありませんか。

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どうなってんのよ。とアホウが一人文句を言いそうになりましたが、松が違うには訳がある。

歌川広重さんが『名所江戸百景』描いたのは安政3年(1856年)~5年(1858年)。

それから約160年。松の寿命は長いとはいえ、上野戦争、関東大震災、空襲といろいろありました。どっかで焼かれちゃって・・・

じゃなくて、台風だそうです。

http://taito-culture.jp/topics/tsukinomatsu/index.html
台東文化ガイドブック 清水観音堂の月の松

〈明治初期の台風により被害を受けて永らく失われていましたが、浮世絵にも描かれていた江戸の風景を復活させるため、平成24年(2012)12月に復元されました。〉

あら、復活したのはつい最近だったのね。へー、じゃ見たことない人、大勢いるんだ。

また清水の舞台に戻りまして、向こうに見えますは渡り廊下。花頭窓が大層よろしいかと。

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渡り廊下の向こうの建物は何なのでしょう。今のところ、ネットではわかりませぬ。

また清水坂を下って、ぐるーっと回って、別の坂↓

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を上って渡り廊下の下を通り抜けて振り返りますと、

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そこは参道でした。

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こちらに案内板があるということは・・・逆走したみたい。つくづく逆コース人生。

一歩下がって、清水観音堂の裏側を眺めます。

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舞台のある方に比べて、正直面白くもなんともありませんなあ。

この次は人出の少ない日(大雨だとか)に行って、月の松の輪っかから何が見えるか、写真撮ってきます。

で、まだ続くのですが、上野大仏が出てくるのはまだ先であります。

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2015年6月12日 (金)

西郷さんのぐー

6月7日上野恩賜公園散歩の1です。

いつもは公園口から国立博物館や美術館へ行くのですが、今回は趣向を変えて、しのばず口から。京成上野駅のあるほうです。

こちら側を行くのは数十年ぶり。変わっちゃいましたわね。

懐かしの「上野松竹デパート」などは再開発されてこぎれいになっちゃって面影なし。

時代は移り変わるのよね。人間だって古くなるし・・・

さて、「しのばず口」から「袴腰」と呼ばれる階段をとことこ上ります。だだっ広い石段です。

上がったら今度は右へまた階段を上がります。上がったところを「山王台」と言うんだそうです。もしくは「桜ヶ岡」。西郷さんのおられる一角です。

と知ったように書きましたが、実は記憶の中の脳内地図が大混乱をしておりまして、「あれこんなところに西郷さん」の方が正しい。いろいろごっちゃになって、動物園の入り口近くにいらっしゃるものとばかり・・・(田舎モンである由)

↓階段脇のこれは何でしょう。

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分かりませんが年代物のようです。上部の格子の白はガラスのような気がしますので、「街燈」かな・・・ 石部分が黒いのは焼け焦げかな・・・ 太平洋戦争時に空襲で寛永寺の歴史的建物などが焼失しているそうです。

真ん中の白い筋はなんでしょうねえ。

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で、すっくと青空に立つ西郷さん。西郷どん、ですかな。

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お供は西郷どんの愛犬「ツン」ですが、モデルは別の犬だとか(wikipedia)。

そもそも、この西郷どん像も本人の姿じゃないという話がありますわね。写真がないもので、弟といとこの風貌から想像したとか。

wikipediaによりますと、こちらの絵が実物に近そうです。

Saigotakamoriuniform
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2c/SaigoTakamoriUniform.jpg

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腹の出具合と脚の短さと頭のでかさはウチの爺様並みだな・・・

この西郷どん、すんごく力んでいませんか。ツンちゃんのリードを「ぐー」で握りしめています。悪い奴が近づいてきたら、ツンちゃんごと振り回して撃退しそう。

西郷どんの近くには「敬天愛人」の碑。

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ぴっかぴかで、通行人が写っちゃっています。光が反射しすぎで読めませぬ。(読む気もありませぬ。)

あまりにも有名でいまさら解説なんぞ・・・と言いたいのですが、ワタシ日本史がからっきしダメ。知ったのは数年前のことです。ああ恥ずかしや。

ワタシ同様知らない方は「敬天愛人の教え」あたりをネット検索くださいまし。

西郷どんの近くには、血の滴るような真っ赤な花が咲いています。

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大きな木で全体も撮りましたが、見事なピンボケにて割愛。

アメリカデイゴ。和名カイコウズ(海紅豆)。マメ科です。どんな豆がなるのでしょう。

上野恩賜公園は、その昔は血を血で争った地でありました。幕末(慶応4年5月15日(1868年7月4日))の上野戦争の舞台です。

彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍が争い、彰義隊壊滅。

この時、寛永寺の多くが焼けちゃったんだとか。(知識不足で断言できません。これから資料読みますです。)

とりあえず写真をば。

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『鹿鳴館秘蔵写真帖』 江戸城 寛永寺 増上寺 燈台 西国巡幸
社団法人霞会館編 平凡社 1997年7月発行からお借りしました。

78頁 「2 中堂跡」 手前の石の並んだのが、焼けちゃった中堂のようです。

彰義隊墓所。

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丸に義の字。花が枯れちゃってます・・・

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歴史知識があやふやなので薀蓄傾けての解説はできませぬが、村田喜代子さんの小説だったか、その昔の娘時分に上野のお山の戦争を見た祖母曰く「刀傷は汚くて嫌だ」・・・鉄砲傷なら死体にそれほど損傷はないが、刀でバッサリはとてもエグかったそうな・・・読んだ記憶が曖昧ですみませぬ。

拡大すれば読めます。

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ということで、無知丸出しの上野のお山見物が続くのであります。

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2015年6月 9日 (火)

上野、の前の三鷹オスカー

昨6月8日、東京地方は梅雨入りしました。

途端に涼しくなりまして、4月5月の猛暑はなんだったのか。夏支度しちゃったのに、しまった服をもう一度出せってか・・・と、かっかすることはありません。

涼しくてよろし。

前日の7日は晴天なれど湿気少なく風爽やかな休日でありました。こんな日はお片付けに励みましょう・・・と思いつつせっかくの休日、遠出もしたい。国立博物館の券だってあるし・・・来週にしようかな、でも来週が最終日だったら嫌だな・・・

で、券をチェックしました。

およよ。

本日最終日 じゃありませぬか。

行くざます。出し物は・・・じゃなくて、展示は「鳥獣戯画」特別展。

なんてこってしょ、最終日に観に行くなんて。大幅にポリシーに反します。それ以前に凄い行列でしょうね。でも行きます。

で、あたふたとお家を出て電車に乗って30分で上野駅につきましたわよ。早えーなー。

で、まっすぐ博物館に向かえばいいものを、(どうせ混んでて観られやしないわよ)と、西郷さん口から入って、彰義隊だの清水観音堂だの擂鉢山だの上野大仏だの東照宮だの寄り道しまくって、入場したのはお昼過ぎ。

どうせ奥の会場から入場ゲートまで延々つづく長蛇の列ですよ、焦ったって・・・

あれ? 空いてる。会場にすんなり入れる。ラッキー。

と思ったのですが、落とし穴あり。どんな穴に落ちたかは後程ご報告。

寄り道の「上野大仏」が昔見た記憶と違う気がしました。(30年以上前のことですよん。)

調べようと図書館から本を借りてきました。確かこの本に写真つきで乗っていた筈・・・

『世紀末大東京遊覧 文春文庫 ビジュアル版』
 B級グルメクラブ/編  1987.6

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ええと、あれ?載ってない。勘違い。

しかし。

ぱらぱらとめくっていて、見つけちゃいました。

今は無き、三鷹駅南口の映画館「三鷹オスカー」。外観じゃなくて、内部スタッフの写真ですが。さすが28年前の出版物。

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P188 キャプション:〈下町の名画座で知られる「三鷹オスカー」の、気さくな支配人(左)とスタッフたち〉

この映画館にはずいぶんお世話になった筈です。お尻が痛くなる3本立てでした。

この本のP173~192が「シネマファンに捧ぐ B級映画館の楽しみ方 さらば高級ミニシアター」(町田大)でして、中高年には懐かしい映画館がザックザック登場します。

惜しまれつつ閉館した「新宿昭和館」の写真もあります。

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P190-191 キャプション 左上と下:〈脇目もふらずにヤクザ映画だけを上映。「新宿昭和館」の心意気やよし〉 (右上は「新宿ローヤル」)

ばかかりし頃のワタシも行ったことがある筈です。

2002年に閉館しましたが、そのスタッフだった方が、在りし日の奇想天外な「新宿昭和館」を本に残しています。

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『名画座番外地 「新宿昭和館」傷だらけの盛衰記』 
川原 テツ/著 幻冬舎 2007.7

昭和館の内部事情は、マジかよ、と言いたくなるような奇天烈なものでした・・・

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2015年6月 8日 (月)

ベジマイトなるもの

以前「謎の味覚」(2012年6月23日)で、強烈な見かけと味覚の食べ物を取り上げました。

「(略)その黒いドロドロはマーマイト。愛する人と、憎悪する人がいる。」

しばしば味覚音痴と称されることのあるあのイギリス人でさえ、全く受け付けない人がいるらしい、まさに謎の食べ物「マーマイト」。

ならば食べてみたいものよのう・・・

通販で買うか。4瓶セットですと。バラ売りはないんかい。もしもハズレだったらどうしてくれる・・・

と迷っているうちに忘れてしまいました。

先日、近所の輸入食品店のジャムコーナーをうろうろしていて「ベジマイト」を発見。おおお、マーマイトの親戚筋です。あっちが英国産でして、こっちは豪州産。「女王陛下よ永遠なれ」と口をそろえるイギリス連邦国。

よって、瓶の中身もほとんど同じでありましょうぞ。買いましょうぞ。税込み348円ですと。手頃ではありませぬか。ハズレでも諦めがつきましょうぞ。

↓これね。

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健康食品ですわね。酵母ですよ、酵母。

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ほほう、森永乳業が販売してるじゃありませんか。

蓋を開けると・・・ ほとんどチョコレートスプレッドみたい。

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が、なにせ原材料が「酵母エキス」。次に「食塩」と来ている。

しょっぱー

が第一声でありました。なんじゃこれは。

ええと、この匂いと味は・・・ ノリの佃煮 に エビオス を混ぜればこうなるかな・・・

しかし、まずくはないぞ(←大いに問題ありかも)。

マーマイトもベジマイトもネット評は散々です。一方で、好きな人は大好きらしい。

で。

ワタシ、しばらくパンに塗って食べているうちに、後を引くようになりました。

「うまいじゃないか」 

ワタシ、味覚音痴かもしれない・・・ 興味のある方は自己責任でお試しくださいまし。

マーマイトにはパディントンベア主演の傑作CMがありましたが、ベジマイトにはこれと言ったCMが見当たりませぬ。

↓少々古いの2点

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Vegemite "Happy little vegemites" TVC 30秒
https://youtu.be/h5r3HAJh8es

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How to Eat Vegemite  2分45秒
https://youtu.be/K5N4s3UD0ys

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2015年6月 3日 (水)

ほうれん草カレー

東京地方は本日雨。じめじめ蒸し蒸し、梅雨入り間近の雰囲気です。

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先日、お友達の家で「ほうれん草カレー」を御馳走になりました。

味がいまいち、と謙遜されていましたが、なかなかの美味でございました。

その後、生協の宅配でほうれん草が届いたので、ワタシも作ってみようかと・・・

レシピをネットで調べればいいものを、思いつきでやりまして、途中で手順を間違えたりしまして、それはそれなりに美味しかったのですが(と思ひまふ)、

「ちょい違うな・・・」

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材料:玉ねぎのみじん切り・人参のみじん切り・ひき肉・生姜のすりおろし・固めに茹でたほうれん草のぶつ切り・カレー粉・鶏がらスープ(の素)・ピーナッツバター・オイスターソース・トマト・小麦粉・塩・胡椒

分量は人数と好みに応じて適当に。ひき肉の種類もお好みで。ワタシはカレールーよりカレー粉が好き。

1.フライパンにオリーブオイルを入れて、玉ねぎ・人参・ひき肉を炒めます。

2.ある程度火が通ったら、カレー粉・塩・胡椒を入れます。

で、失敗。ここに小麦粉を入れちゃった。早すぎるよ。

別に炒めて後で入れるか、後で水溶きして入れるか(昔のそば屋のカレー方式)しなくちゃ。あーっ、と思ったが遅い。

3.お湯を入れて鶏がらスープの素を入れてトマト(水煮缶を使いました。生でもよいかと)を入れて、しばらくフツフツと煮ます。

4.ほとんど煮えたようなので、ピーナッツバター(Skippyのクランチタイプ)を入れて、広島牡蠣のオイスターソースを入れて、生姜のすりおろしを入れて、焦げ付かないようかき回しながらもう少し煮ます。

煮えたかな?

5.ほうれん草を入れてしばらくかき混ぜて、はい出来上がり。

いつものカレーなら、隠し味に醤油だの味噌だのを入れますが、今回は省略。

うん、ほうれん草の量が足りないな。塩気ももっと欲しいな。

まっ、いいか。

ちなみに、ご飯には、黒ゴマ、黒豆、ハトムギ(カブトムシの幼虫みたいに見えるの)、皮つきピーナッツ、ひまわりの種、かぼちゃの種、カシューナッツ、干しブドウなどが入っております。

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ほほほ、カロリーどれくらいあるんでしょ。ダイエット向きではありませんわね。

次回は小麦粉は別に炒めまする。(また作るつもりざますよ。)

ピーナッツバターがなぜ入るかといいますと、単に「ほうれん草に合うのはピーナッツバターでしょ」と思い込んでいるだけのことです。

人生、思い込みで乗り切る場面も多々あり。

↓関係ありませんが、中国土産のお菓子。

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中華独特のお味がするかと思いきや、爽やかで美味しかった~

あっと言う間に1箱食べてしまいました。少しはカロリーを気にしないといけませんわね、ほほほっ。

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