跡地跡地ああ跡地
(2013.11.30訂正:武蔵国分寺尼寺→武蔵国分尼寺)
さて、現・国分寺の楼門のところで、右に行くか左に行くかか、ええい左に行っちまえ・・・
の決断の要因は、地図に「金堂」「講堂」「中門」「南門」「七重塔」「鐘楼」「西僧坊」などの文字が見えたからでした。
跡地であることは分かっていますが、その痕跡というか発掘現場というか、なにか「おおっ」というものがあるであろうと期待しまして、とことこ・・・
地図にある国分寺墓地を横目にみまして(なんだ現役の墓地じゃないか)と思いつつ、農道みたいな狭い道なのに車が結構通る信号のない道を横切って、行き着いた先は・・・
ただの原っぱ。
(ええっ、これだけじゃないよね・・・)
猫がいっぱい溜まっておりまして、それを写真に撮っている人がいて、近づいてみたいけど撮影の邪魔しちゃいけないと横目にみながら先へ進むと、そのワタクシをじっと目で追う猫がいて
(おばちゃん、何しに来たの。なんもにゃーよ)とか言ってそうな・・・
なんかあるでしょ。
↓ありました。石碑。
「史跡 武蔵国分寺址」
それだけ? そう、それだけ。
「七重塔跡」とか「武蔵国分寺跡僧寺金堂」とか地図にあったので、何かあるんじゃないかとうろうろしましたが、ないものはない。探し方が悪かったのか。
ここで、素直に現・国分寺見学に切り替えればよかったのですが、ちょうど少年野球チームと思しき団体関係のおじさんやお世話役のおばさんたちがマイクロバスみたいなのを止めてご苦労さん会みたいなのやっていまして
(ほらほら、また誰か迷っているよ)
と思われたくもないし、何食わぬ顔で、さらに先に進み、結果ただの住宅交じり農地に入り込み・・・
ええい、目標変更。行くか行くまいか迷っていた、市立歴史公園に行っちまおう・・・府中街道越えて・・・ガードくぐって・・・
↓来ましたよ。「市立歴史公園 武蔵国分尼寺跡」へ。
新旧の石碑があります。
どっちかが都ので、どっちかが市の石碑?という問題ではなさそう。
尼寺は「じじ」と読むそうです。 (←12.25追記:じじは怪しいです。検索するとにじばかりです。)
(2013.12.26追記:尼寺を何と読むか。「じじ」と記しておきながら、資料が見当たらず「にじ」かもと思い、またネット検索すると「にじ」ばかりでした。
が記憶を辿ると、現地で「じじ」の表記を見たはず・・・
とりあえずもう一回確かめに行けばよいのですが、しばらく機会がなさそう。
そこで「漢字源」(学習研究社 1988年11月10日初版発行 手元のは1991年2月10日第5版)に当ってみました。
すると、1887【尼】の読みは1ニ(呉)・ジ(ヂ)(漢)~(後略) とあります。呉は呉音、漢は漢音のことです。
例の「尼山」はジザン、「尼父」はジフ、「尼院」はニイン・ジインでしたが、「尼寺」はジジ、「尼庵」はジアンでした。尼僧は「ニソウ」です。
しかし、ネットにはニジばかり。ニジが定着しちゃうんでしょうかね。)
「じじへ行け!」では、ハムレットもトチリそう・・・(そういう問題じゃありません)
ここも「跡」だけです。
右を向いても左を向いても「跡」だけ。
なんかねえのかよ~
あ、ありました。隣接する↓「市立黒鐘公園」の巨大遊具。
国分寺崖線にかかる公園です。段差を利用して巨大な昇り段や滑り台が。
どの程度の規模かは、左のベンチの大きさから推測してください。
↓3階分くらいはあります。
こうやって見ると、流しそうめんやってるみたいですけど。
ここには写っていない左端の階段をえっちらおっちら上って見ました。
ついたところは、またしても鬱蒼と木が茂り山の中みたいです。
地図によると、この「山」の上の方には「東京都がん検診センター」があるようですが、まったく人の気配なし。一人歩きはちょっと怖い雰囲気です。
そそくさと、上の上の写真の3階分石段を降りてきました。こけっ、となったらトコトン転がり落ちそうでした。
さあ、どうしましょ、と公園を出ましたら、あらまあ「旧鎌倉街道」ですと。
ほっそ~い道ですよ。へえ、これがねえ・・・
↓上と同じことが書いてあるのだと思います。
では、歴史的な一歩を、と思いましたら、立て札読んでいる間に 後から来た二人連れが先に歩いていくではありませんか。
むう。では切り通しの横の盛り上がったところを歩いていきましょう。
階段がついているということは、あがってよろしいということです。
↓上はこんな感じです。
写真には写っていませんが、途中に「塚」というものがありました。
後で地図を確認すると、「伝祥応寺跡」と関係する中世の遺跡らしいです。
切り通しの反対側を上ると「伝祥応寺跡」があるそうな。(この日は行きませんでした)
へええ、すごいところ歩いちゃった。
↓一段と高いところにあがったら、え?線路が。
一瞬、どういうこっちゃと思いましたが、JR中央線と西国分寺駅で直角に交わる「武蔵野線」でした。尼寺跡に行くときに潜ったのは武蔵野線のガードでした。
↓切り通しを振り返ったところです。鎌倉に続いているのですね。
で、どうすべえ。
引き返して、現・国分寺に行って都立武蔵国分寺公園に行くべきかな・・・
引き返すのイヤ。前進あるのみ。この先どうなってるか分かりませんけど、先に行って見ましょう。
ということで、まだ続きがあります。
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コメント
こんにちは。
国分寺跡は、小平の社宅からよく自転車で散歩
に行きました。
変化の激しい多摩地区で、20年以上前と
ぜんぜん変わってませんね。というか、現状
維持が原則なところなんでしょうけれど。
国分寺崖線を自転車で登るのは、しんどかった
なぁ
投稿: なかっちょ | 2013年9月 2日 (月) 12時40分
なかっちょさん、こんにちは。
東京は今日もお手上げの暑さです。
国分寺周辺は初めて行きましたが、そうでしたか、20年前とあまり変わっていないのでしたか。
いつになるか分かりませんが、次は中央鉄道学園の痕跡を辿る予定です。
投稿: マイマイ | 2013年9月 2日 (月) 14時49分