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2012年12月10日 (月)

思い出の痕跡、あるいは「そして誰もいなくなった」

父が82歳で亡くなり、5年後に母も82歳で亡くなった。

だから自分も80歳くらいまでは・・・生きられるかは分らない。

戦後の日本全国大貧乏時代に続く大慌ての日本社会急成長時代に子供時代を過ごしたので、身体の基本部分がいろいろ怪しい。

加工食品あふれる今と違って、昔は自然のものを食べていた、と思うのは大間違いで、今なら禁止の物質を含んだ食品を大量に摂取していた世代ともいえる。

小学校の校長先生の朝礼訓示はほとんど覚えていないが、一つ鮮明に残っている。

「粉末ジュースは舐めてはいけません。」

水に溶かして飲みなさい、ということ。

当時粉末を舐めるのが流行っていたが、それは体に毒で、肝臓の病気になった小学生がいると。

毒なら水に溶かしても同じじゃないか・・・と思いながら「渡辺ジュースの素」を飲んでいた。ジュースと言いながら、甘味料と香料と色素の合成品で果汁はゼロだった筈。舌が鮮やかな色に染まった。

甘味料は砂糖でなく、サッカリンとかズルチンとかチクロとか、その後発ガン性を疑われるものだったし。

ソーセージもタラコも真っ赤っかに着色されていたし。

農薬は使いたい放題だったし。

手押し車に積んだ大きな噴霧器で町内を盛大に消毒して回ったし。

猫の蚤取りに直接DDTを降りかけて猫が死んだし。

予防注射はアルコール消毒するとはいえ何人にも同じ針を使っていたし。

(運が悪いと使いまわして先の丸まった針にあたり痛かった・・・)

今から思えば乱暴な時代だったが、当時はそれが日常だった。

だが、幸運な世代だったかも知れない。

親の世代は、いやおうなく戦争に巻き込まれている。太平洋戦争(1941年~)だけでなく、日中戦争(1937年~)という区切りもある。両親の青春はまさに日中戦争の只中であった。

父は召集され南方戦線に送られたし、母は終戦の年の地方都市空襲で焼け出され、母の実家はその後国有地に開拓農家として入植し、慣れない苦労をすることとなった。

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と、そんなことを思い出したのは、母方の実家がどうなったか、祖父母・叔父夫婦と仲の良かった親戚から聞いたからです。

結論から言うと、何も無くなったとのこと。

祖父母と叔父夫婦が苦労して切り開いた畑は別荘用地として売られ、思い出の詰まった家屋も牛たちのいた小屋も取り壊されてまっさらの更地で売られたとのこと・・・

えええ~~~といっても仕方ない。相続した人が決めたことですもの。

でもねえ・・・

子供の頃、夏休みをまるまるその高原で過していました。

夏でも手の切れるような冷たい川の水が生活用水でした。井戸も掘りましたが、水道が引かれたのはずーっと後のこと。

お風呂は川の水をバケツで運び、山で採ってきた小枝をくべて沸かし、その煙に燻されながら入りました。

炊事もかまどに薪。

大人には不便な暮らしだったと思うのですが、子供にはまさに桃源郷でした。

標高が高いので、春と夏が一遍にやってきて、家々の庭先にも原野にも花が咲き乱れていました。

野生のグミ(茱萸、果実)や垣根のスグリ(グズベリー)や巴旦杏(トガリスモモ)を食べ、キスゲやナデシコ、オミナエシ、吾亦紅などに覆われた高原を駆け回り、沢で蟹を探したり、いとこ達に先導されて潅木を押し分け大きな川に遠征して泳いだり・・・

その後何十年も経って、祖父母叔父夫婦の墓参りに行った時、原野は見事に木の生い茂れる森に変わっていました。

毎年夏に訪れていた子供の頃、元気な祖父母がいて叔父夫婦がいていとこが二人いてこちらはきょうだい三人で行って、近くには祖母の兄弟の家があり“またいとこ”がいて、他にも別の伯父夫婦がいてそこにもいとこ達がいて・・・各地に散らばった母のきょうだいも揃ってやってきて・・・父のきょうだいも一緒になって・・・

あの賑やかな日々は、高原の夏の陽射しと共に鮮やかに脳裏に蘇りますが、物としては何も残っていない・・・人々も多くが逝ってしまった・・・

祖父母はこんな結末を予想していなかったでしょうね。自分達の生きた痕跡が跡形もなく消え去るなんて。

淋しいねえ・・・と、親戚(ワタクシの叔母)はつぶやいていました。みんな居なくなっちゃった、みんな無くなっちゃった、と。

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当時の風景写真は残っていませんが、思いがけないところで郷愁を覚える写真に出会いました。↓

121210tabacco

手前にタバコ畑、右後ろにとうもろこし畑。左に小屋があり、牛を放しているのか柵が見え・・・

こんな風景でした。木はもう少しまばらでしたが。

タバコの収穫を手伝って、指がニコチンで黄色く染まったのを覚えています。

なんとこの写真はニューヨーク近郊ノースカロライナ州ダーラムの「デューク・ホームステッド(Duke Homestead)」です。

「ニューヨーク近郊の光と風 美しいカントリーサイドの旅」
(文・写真 中野志保子 東京書籍 1998年6月7日)

40-41ページからお借りしました。

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コメント

切ない感じもしますが・・・weep

自然遷移というのは、そういうものだと
思います・・・

コンクリートやアスファルトだらけでは、
遷移しませんしね。

投稿: R.Ptarmigan | 2012年12月10日 (月) 21時13分

R.Ptarmiganさん、コメントありがとうございます。
いつまでも存在し続けるものはない、とは判っていましたが・・・少々切なかったです。
 
取り壊されなかったとしても、数十年前の子供の頃に接したものとはいろいろ様変わりしていて、あの懐かしい情景はやはり心の中にしか存在していなかったのですけど。

投稿: マイマイ | 2012年12月11日 (火) 09時34分

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