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2012年7月13日 (金)

サバイバル俊寛

『俊寛』その2

wikipedia『俊寛』にこんな記述があります。

『源平盛衰記』によると、藤原成親は松の前・鶴の前という二人の殿上童を使って、俊寛を鹿ケ谷の陰謀に加担させたという事になっている。松の前は美人だが愛情の足りない女で、鶴の前は不美人だが愛情に溢れた女であった。成親がこの二人に俊寛の酒の相手をさせた所、鶴の前に心をよせて女児を生ませた。すっかり鶴の前に心を奪われた俊寛は、謀反に加担する事を同意したのだ、という。〉

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%8A%E5%AF%9B

『平家物語』とは趣きが違います。

この『源平盛衰記』を下敷きにしたと思われる作品2点。借りてきました。

『俊寛』芥川龍之介 新潮社文庫(『羅生門・鼻』に収録) 昭和43年7月20日(初出「中央公論」1922(大正11)年1月)

『俊寛』菊池寛 講談社 歴史小説名作選2(源平・鎌倉 もののふの譜に収録) 1992年3月19日(初出は1921年「改造」10月号)

まずは芥川『俊寛』から。

有王の語りで始まります。世間には嘘ばっかり伝わっていると。

鬼界が島に渡った有王の前に現れたのは、〈昔よりも一層丈夫そうな、頼もしい御姿だったのです。〉

島の〈土人〉たちに大切にされ、暮らしむきもまあまあ。島へきて何が嬉しかったといえば、

〈あのやかましい女房のやつに、毎日小言を云われずとも、暮らされるようになった事じゃよ〉

陰謀を計ったことなどない、とさえ言います。中御門高倉の大納言様の屋形へ、鶴の前という女人目当てに通ったばかりに災難が降って湧いた、と。

共に流された成経は己が身を嘆いてばかり、康頼は願掛けも数で勝負とばかり卒塔婆を流しまくる・・・

やっと赦免船が来たが、俊寛の名がない。ないのは高平太(清盛)が自分を恐れているからだと。

〈天下は誰でも取っているが好い。〉

〈この島に一人残されるのは、まだ仕合せの内かもしれぬ。〉

が、赤児を抱いた成経の妻は船に乗せてくれろとすがる。裾をつかまれた成経は冷たく女の手を刎ねのける。それを目にして俊寛、大爆発。僧にもあるまじき罵詈雑言の限りをつくし、(女を乗せろと)遠ざかる船に返せ返せと手招きをした・・・・

で、この騒ぎが俊寛の狂乱として都に伝わったのだと。

有王は俊寛を置いて帰ります。

〈相変わらず御一人悠々と、御暮らしになっていることでしょう。〉

菊池『俊寛』 

逞しい俊寛です。

ともに流された成経、康頼はへこたれて愚痴ばかりで、俊寛は二人にうんざり。

迎えの船が来て喜んだのも束の間、許されたのは成経、康頼だけ。

いっときは絶望した俊寛だが、清冽な泉をみつけ椰子の実を貪り食うと、その旨さ有難さに都のことなど空虚なつまらないものに思え、生きる力が湧いてきた。

それからの俊寛の行動は目覚しい。自力で新しい家を建て、弓を作って狩をし、魚をとり、畑を開墾し、物々交換で種を手に入れ麦を育てる・・・

毎日の生活に意味を見出すと、平家のことなどどうでもよかった。

そして、島の娘と出会い結ばれ次々と子供が生まれる。

有王が尋ねてきたのは文治2年(1986年)と書かれ、平家物語の治承3年(1179年)とは大分ずれがあります。1185年に平氏は滅んでいます。

有王は変わり果てた主人の姿に驚き、都に帰ろうと言葉を尽くします。

が、俊寛は島の暮らしにすっかりなじみ、有王の説得に応じません。

〈都に帰ったら、俊寛は治承3年に島で果てたという風聞を決して打ち消さないようにしてくれ。(中略)俊寛を死んだものと世の人に思わすようにしてくれ〉

で、平家物語の記述とつじつまが合うようにしています。

この部分、『源平盛衰記』がそうなっているのでしょうか、はたまた作者の創作か・・・

知りたかったら『源平盛衰記』を読みなさい、ということでしょうね。

なお、菊池『俊寛』では、妻が松の前、娘が鶴の前となっておりまする。

それにしても、小説家も講釈師と同じで、大昔のことをさも見てきたように書くものですね。

いえいえ、嘘っぱちと非難しているのでなく、菊池『俊寛』は読み物として面白いということです。

ちょんちょん。

・・・待った、『愚管抄』が残っている。

ネットには

「『愚管抄』などによると使いが到着した時にすでに俊寛は死んでいたようです。」
朗読 平家物語
http://roudoku-heike.seesaa.net/article/95948352.html )

という記述があります。

となれば、歌舞伎や小説『俊寛』は成立しませんが、これ以上詳しい話は今のところネットでみつかりません。となれば・・・

『愚管抄』を読みなさいってことですか。無理だあ・・・と言いつつ

愚管抄 第五巻
http://www.st.rim.or.jp/~success/gukansyo05_yositune.html

たしかに文中に

〈俊寛と検非違使康頼とをば硫黄の嶋と云所へやりて。かしこにて又俊寛は死にけり。〉

(カタカナをひらがなに変換→読みにくいので。)

という記述がありますが、いつ死んだとは書いてないと思ふのですよ。気になるなあ・・・

(まだ続けるつもり)

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コメント

いやあ、読みましたねえ。日常の一コマからたくさんの知らなかった事を学習する生活習慣、素晴らしいです。感服いたしましたです。

投稿: 2段重ね弁当 | 2012年7月13日 (金) 13時45分

いやあ、感服、だなんて・・・coldsweats01
物好きとヒマの合体の産物です。

投稿: マイマイ | 2012年7月13日 (金) 16時30分

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