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2012年7月12日 (木)

足摺る俊寛

先日の歌舞伎見物は「俊寛」でした。

正確に言うと、

平成24年6月歌舞伎鑑賞教室「俊寛」
近松門左衛門作 平家女護島(へいけにょごのしま)
俊寛 一幕 鬼界ヶ島の場

お話はあまりに有名。

平家討伐の陰謀がばれて、俊寛僧都、平判官康頼、丹波少将成経が絶海の孤島鬼界ヶ島へ流されて3年。
若い成経は島の海女の千鳥と恋に落ち夫婦となります。
ささやかな祝言の最中、船が現れ、康頼、成経の赦免が告げられます。
が、どこにも俊寛の名がありません。
嘆き悲しんでいると、別の使いが現れ俊寛も許されます。
しかし通行証は3人分だけ。千鳥は乗れません。
自分が残るから千鳥を乗せてくれと俊寛は懇願し非情に拒まれ、ならばと侍を斬り殺し千鳥を乗船させます。
残ると決意したものの、いざ船が出て行くと、俊寛の思いは乱れ、遠ざかる船を必死に呼ばわるのでした。(ここが見どころ「足摺」の場面)

さて、近松門左衛門さんが「さあ感動しろ」と脚色したこの話の史実はどうなっているのでしょう。
恥ずかしながら日本史は不得手。なにがなんだかさっぱり分かりません。

図書館で本を借りてきました。
『俊寛』日本の物語絵本18 ポプラ社 2006年6月 松谷みよ子・文 司修・絵
『俊寛』絵巻平家物語(三)ほるぷ出版 1985年12月 木下順二・文 瀬川康男・絵
『平家物語』四 鬼界が島の巻 あすなろ書房 文・生越嘉治 絵・佐藤やゑ子

歴史書じゃなくて全部児童書・・・とバカにしてはいけません。実にわかりやすいのですよ。生越嘉治さんのほかの二冊も『平家物語』を下敷きにしているようです。と、わざわざ断ったのは、他に『源平盛衰記』『愚管抄』などの資料もあるからです。

どのみち歴史とは勝者の都合の良いように書いた物語じゃございませんか。

松谷みよ子作『俊寛』

赦免されず残される俊寛の高僧であったとも思えぬ未練の振る舞いを描き、その後家来の少年有王が尋ね来たときにはやせ衰えたみすぼらしい姿を晒す。

有王は悲しい知らせをもたらす。妻も子も死んだと・・・俊寛は食を断ち23日後に37歳の若さでなくなる。

近松千鳥はでてきませんよ~。

〈はなやかな都から罪人として孤島へ送られ、恩赦にも見はなされ、ただ一人島に残されたまま死んでいく男の哀切さは『平家物語』のテーマである「盛者必衰のことわり」を示すばかりか権力者の非情ぶりまでも鮮やかに象徴させています。〉

と、西本鶏介昭和女子大学名誉教授が解説しています。

木下順二作『俊寛』

こちらは「鹿ケ谷の陰謀」も描いています。多田の蔵人行綱の裏切りで発覚するのですが、清盛の息子重盛のとりなしで、死罪を免れ島流しとなります。「平家物語」の記述にもとづき、俊寛を気性激しく傲慢、僧にも拘らず“天性不信第一の人”=信心度ゼロ、としております。他二名は信心厚く、結局はそれがために赦免されることになったと。

この話でも、俊寛は去り行く船に未練たっぷり「やあれ、のせてゆけ、つれてゆけ。」をわめき叫んでおります。

やがて有王が苦労して島に渡ってきますが、主はやせおとろえたみすぼらしい姿をあらわします。

有王から身内は娘一人を除いて死に絶えたときき、食を断ち23日目になくなります。

作者のあとがきから抜粋

〈『平家物語』は、俊寛の性格をはっきりと、「僧なれども、心もたけく、おごれる人」といっている。(中略)清盛へは恩をあだでかえし、すべてのことにごうまんであった、というふうにかかれている。
(略)
人間の運命はすべて、因果応報の道理にみちびかれているのだという、『平家物語』のあの最初のくだりとひびきあう思想である。

しかし、いまひとつ、さらにくっきりと私たちに印象づけられるのは、(中略)なんとか生きのびていこうと全力をつくしてたたかう、すさまじいまでに行動的な俊寛の姿である〉

(この、「なんとか生きのびていこうと全力をつくしてたたかう、すさまじいまでに行動的な俊寛の姿である」というのが、正直この絵巻ではぴんとこなかったのですが、「源平盛衰記」を下敷きにしたと思われる小説(芥川龍之介、菊池寛)を読むと納得。)

、『平家物語』四 鬼界が島の巻 

原典を読んだことがございませんのですが、たぶん、わかりやすく噛み砕いたものでありましょう。

「鹿ケ谷の陰謀」の陰謀から始まり、ばれて流され、37歳でなくなるまでです。

平清盛の息子重盛が父の横暴をおさめる様がえがかれています。清盛は重盛に頭が上がらなかった・・・だから近松俊寛で、重盛が赦免状を出す話になったのかも。

この本では言葉は押さえていますが、俊寛が他二人と別に暮らしたのは、俊寛の不信心で傲慢な性格であったと示唆しています。

以上、とりあえず、やさしい読み物3冊。

ひとつ気になったのは、年号が微妙に違うことです。

松谷版『俊寛』の解説には「治承元年(1177年)の鹿ケ谷事件」とかかれ、木下版『俊寛』では島流しは安元三年(1177年)と書かれています。国立劇場の解説は島流しは治承元年。

元号の治承は

安元3年8月4日(ユリウス暦1177年8月29日) 改元
治承5年7月14日(ユリウス暦1181年8月25日) 養和に改元

つまり1177年8月29日から1181年8月24日までのこと。

wikipediaによると「鹿ケ谷事件」は1177年6月1日に発覚しています。俊寛らは4日に一網打尽にされています。8月29日まで待たず、さっさと流しちゃったと思うのですが・・・

(続く予定)

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