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2011年6月15日 (水)

牡丹燈籠

一月前になりますが、歌舞伎「牡丹燈籠」を友人にお招きいただいて観に行きました。

歌舞伎座改修中につき、明治座での公演です。

「牡丹燈籠」はあまりにも有名な話ですから、生涯二度目の歌舞伎見物なれど、よもや理解可能にての居眠りもしまい・・・(無粋極まれり)

そう、お話は分かりやすくて面白うございました。それまで明治座では歌謡ショーのおまけの芝居なんぞばかり観ておりましたので思わず、

「やっぱり歌舞伎はいい・・・」

と、通でも(半可通でもさえも)ないのに嘆息。

しかし、やっぱり無粋な観客には落とし穴がございます。

演目は他に「高坏」とありまして、全部で3幕です。

1幕目はご存知の通り、侍萩原新三郎に惚れて焦がれた娘お露が、盆の十三日恋しい新三郎様の元へ、牡丹紋様の燈籠下げたおつきのお米とともに、カランコロンカランコロンと下駄の音を響かせて尋ねてくる・・・

お露とお米が死霊であることが分かって、心配した知人は新三郎が取り殺されないように家に御札を貼り金無垢の海音如来を持たせるが、使用人夫婦が金に目がくらんで死霊の手助けをし、哀れ新三郎は・・・ という話。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も書いている話です。(というかラフカディオ・ハーンの怪談しか知らなかったので、今回とんちんかんな歌舞伎理解になったのですが。)

似たような話もあります。上田秋声の「雨月物語」の「吉備津の釜」。これも男が女の死霊に魅入られて家に御札を貼って身を守ろうとするが最後の夜にだまされて夜明け前に戸を開ける・・・ 両方とも昔の中国の話(「剪燈新話」の中の「牡丹燈記」)に由来するといわれています。

1幕目の緞帳が下りて、さあ、終わったと夕食のお弁当を食べながら、頭の中では小さな疑問符がオクラホマミキサーしておりました。もう一つの演目の「高坏」はいわば小咄。それが2幕もやるかあ・・・ どんな演出だあ・・・

2幕目が開いてたちまち疑問氷解。こっからが「牡丹燈籠」の本編みたいな込み入った話になってきました。1幕目の冒頭に出てきたお国と源次郎、新三郎を裏切った使用人夫婦の供蔵とみねとが絡み合って、どろどろの血みどろの話になります。

拙い文章で書いても面白さは分かりませんので、ご鑑賞を。といっても気楽に観られる料金ではありません。ご招待いただいたので見ることが出来ました。持つべきはチケットくるる友よ・・・

歌舞伎牡丹燈籠の原作は、落語家三遊亭円朝の「怪談 牡丹燈籠」です。歌舞伎観賞後に気になって読んでみました。

そしたらですね、歌舞伎とは話が違うじゃありませんか。歌舞伎のほうは芝居向けに話を整理してアレンジして、それが成功しているのですが、原作には歌舞伎とは違った面白さがあります。原作では忠義者孝助が話を回しているようなところがありますが、歌舞伎では孝助はすぱっと割愛されてます。

そして大前提の新三郎とお露の死霊の話も、読み終わってみれば、死んでもなお恋しい純愛の正体はあっと驚くそんな話かよー、みたいな。

興味があったら三遊亭円朝の「怪談 牡丹燈籠」を読んでみてください。江戸末期から明治にかけての人ですが、落語をそのまま速記で採録しているので、言文一致で読みやすい話です。円朝は絵師歌川国芳の弟子になったりもしています。

読みましたのは

「怪談 牡丹燈籠」三遊亭円朝作 岩波文庫 
1955年6月25日 第1刷発行 
2002年5月16日 改版第1刷発行

永く読み継がれているようです。

さて、肝心の芝居のできばえはどうだ役者はどうだ、といいますと、根が無粋な観客に聞くのが野暮というもの。良かった、のほかに語彙を持ちあわせませぬ。どだい、市川染五郎と聞けばラ・マンチャの男の先代(現松本幸四郎)しか思い浮かびませぬ旧弊な凡人でございまする。

(中村七之助さんの二役のうちお露は無理無理感ありありでしたが、お峰は大変よろしゅうございました。)

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