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2011年4月28日 (木)

「天一坊」とはなんぞや 2

4月26日の「「天一坊」とはなんぞや」、の続きです。

●『大岡越前の独立 大岡忠相・天一坊』 直木三十五 
 時代小説大全集4 人物日本史 江戸 
 新潮社版 新潮文庫 平成2年9月25日発行
 (初出不明、1934年(昭和9年)4月から刊行された直木三十五全集(改造社)全21巻中の20巻に収録されている)

本編に入る前の編集部の文章でいきなり

「天一坊事件として知られる将軍後落胤事件も、実際には、吉宗の御落胤と名乗って金品をだまし取った山伏が処刑されたという事実があったにすぎない。」

と断定的に書かれています。さらにその文章の前で

「現在もテレビで親しまれている名奉行大岡越前の物語、いわゆる“大岡政談”は、そのほとんどが、中国の裁判小説「棠陰比事(とういんひじ)」や「イソップ物語」からの翻案、もしくは換骨奪胎であるとされている。」

と、ばらしてしまっています。

「大岡越前守の業績としては、まず評価しなければならないのは、物価安定のための流通組織の確立や、街火消、或いは小石川養生所の設置といった政治的手腕なのである。」

この作品のテーマは「いつの世でも変わることのない為政者と庶民」と書かれています。

この作品が発表された昭和5年の時代背景は浜尾四郎『殺された天一坊』昭和4年とほぼ同じかと思われます。

さて、作品中では、松平伊豆守信祝(まつだいらいずのかみのぶとき)が阪井右京を遣わして調べたところ、天一坊は御落胤間違いなしとの報告。

一方の天一坊本人は、取り巻きがそういうのでそういう気にもなったが、越前守に激しい言葉で問われると自分の素性に自信なし、自分で落胤だと信じていい何の証拠も無い、と弱気。

信祝は越前守を呼びつけて申し渡します。

「偽物と明かになれば、申し分はない。万一御落胤ときまった折には― 
(中略) 
徳川家のために、仮令(たとい)、本物であろうとも、贋物として処置しなければならぬ」

その理由として、「氏より育ち、二十を越すまで、素性卑しく育った者を、この城中へ入れることは、いろいろと弊がある。」「周囲には、浪人者の不逞な徒輩がいるらしい。(中略)患いの種を蒔くことになる。御当家万代のためには・・・」

つまり、はじめに結論ありき。天一坊が本物の御落胤を殺して御墨附と短刀を奪った、という証拠をでっち上げて処刑してしまう。

小説の中とはいえ、次のような恐ろしいセリフが出てきます。

「その時代の人心に、司政者に利のある時には、法を枉(ま)げてもよい、と」

●『天一坊』下母澤寛 
 時代小説の楽しみ六 大江戸指名手配 
 新潮社 1990年8月1日
 (底本は『飛ぶ野火』大道書房 1941年)

こちらは、一儲けを狙う詐欺師常楽院に丸め込まれた小悪党の天一坊がお白洲へ引っ張りだされるまでを書いていますが、実に品性に欠ける天一坊に仕上げています。

結局は、詐欺の片棒を担いでいた武士本多源左衛門が、集まった金をそっくり盗み出して品川の沖へ沈め、自分に有利にと案を練りに練って、関東郡代伊奈半左衛門江戸の役宅へ駆け込み訴えをした、という話。

なお、三田村鳶魚の『天一坊』では、本多源左衛門が訴えをした件をこう書いています。

「橘町小兵衛店十次郎方牢人、本多儀左衛門というものが、伊奈半左衛門忠達の用人遠山軍太夫へ、この頃南品川常楽院におらるる天一坊殿は、当将軍家御筋目のよしで、お目見えを願う者も多い、自分もお目見えを願うについて、一応お伺いいたしおきたい、と申し出たのは、享保十三年の夏の頃であったという。」

本多左衛門がここでは本多左衛門となっていますが、後半では本多源左衛門となっています。三田村鳶魚の書き違いなのか別人物かは不明ですが、話の筋からは同一人物と思われます。

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