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2010年6月17日 (木)

本を買う

と、ご大層なタイトルをつけましたが、近年は基本的に本は買いません。図書館で借りて読みます。

なぜって、趣味が読書(=無趣味と言ってるのと同じ)ゆえ、必要量が半端じゃありません。いちいち買ってたら、いくらお金があってもたまりません(堪りませんand貯まりません)。

置き場所もありません。昔、食事抜いても本が欲しい、いうはしかにかかったような時期がありまして(おかげで今より体重が10キロがとこ少なかったりして)、その時買い込んだ本が狭い部屋に一杯です。

それでも度重なる引っ越しでかなり処分したはずですが、なぜか増殖する蔵書の不思議。

数度の処分期をくぐり抜けて残っている本はサブカル系が多くて、ネットで検索などすると、結構なお値段がついてたりするものですから、その後の経済状態の悪化とあいまって、ますます処分できなくなる・・・(貧乏人はモノが捨てられない)

だから読みたい本が図書館になければ買ってくれろ(あるいは取寄せてくれろ)とリクエストして読みます。結構リクエストが通ります。

それなのに、自分で本を買う、とは。

それはですね、一度図書館で借りて、これは何度も繰り返して読みそうだな、と思う本がたまにあります。そういう本は買います。

例えば、林望氏の、食物やイギリス物などの本がそうですねえ。文章にリズムがあって、何度読み返しても心地よいのです。

疲れてぼーっとしたいけど何もしないのはかえってストレス、なんぞという時には林望氏の文章がよく効きます。しばらく没頭して、気づくと気分が治っている、みたいに。(当然、林望氏の専門の書誌学の本はこの用途向きではありません。)

その他に買うのは、古書店で見つけて読みたくなった。ひとまず買わずに帰って図書館内を検索したけど置いてない。じゃ、と都立図書館を検索したら、やはり無い。もしくは、あることはあるけど、協力貸出の対象でない・・・つまり、読みたければその図書館へ行って館内で読みなさいとか・・・(行きとうない)

『感覚的パリ案内』がそんな本でした。柳井乃武夫著 日本経済新聞社 1964。

古書店で見かけて気になりました。1964年の本ですから、実用の役にはたちません。なんでそんな本が読みたいのかというと、当時のものの見方がナマで現れているからです。

人間の真実は時期時代に関係なく不変である、なんぞとはわたくしはちっとも思っておりません。その時代の枠にとらわれておりますがな。たまに枠を突き抜けた人が出現しますが、たいていの場合「社会的に不適合」みたいな扱いを受けとります。後世いかに評価されようとも現世は不遇・・・みたいな。

由緒正しい凡人たるわたくしは、少し前の社会の雰囲気がどうであったか、野次馬的な関心が大なのです。

ある時代について後から書かれた本は、いかに良くできていても作り物の範囲をでられませぬ。映画「always三丁目の夕日」がハリボテの昭和30年代であるように。昭和30年代の空気は昭和30年代に作られた映画のほうに色濃く漂っておりまする。

兼高かおるさんの「アフリカの旅」1967年に、兼高さんが人種差別を受けて怒り狂う場面があったと思います。日本人の自分が当時黒人白人で区別されていた南アフリカのトイレで「黒人扱いされた」ことに逆上していたような・・・・

当時の感覚では「普通」だったこの怒りも、現在の基準では「人種差別」ですなあ。法律だと、後からできた法律で以前に起きた犯罪を裁けないことになっておりますなあ・・・

横道に逸れました。

『感覚的パリ案内』は、吉祥寺の古書店で100円で売っているの見つけました。100円なら買ってしまえばよいものを、(置く場所がない)(100円でも使うのはイヤ)と貧乏人根性で見送り、図書館で借りようとしたら、上記のごとく空振り。さらにネットで検索してみたら、送料コミで1000円~1500円出さねば手に入らぬ本です。

なんであの時買わなかったんだよお~と、即、雨の中を買いに走りました。売れてなくてよかった・・・

(買ったけど、まだ読んでません。)

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